メルケルさんに親近感を持っている話

12月に一番見られたツイートはこれだった。

池上彰の『世界を動かす巨人たち<政治家編>』を読んだ。プーチンメルケル、ヒラリー、習近平エルドアンハメネイの話で、メルケルとヒラリーの話が面白かった。特にヒラリーは応援したくなった。2016年の本で、この本はまだ彼女がトランプに負けることを知らない。メルケルさんお疲れ様でした。


博士号を持っている有名人と言えば誰が思い浮かぶ?まず、Queenブライアン・メイ(天体物理学)。東京オリンピック女子ロードレースの金メダリスト、アンナ・キーセンホーファーは数学者だった。日本人だと、大前研一原子力)や安宅和人(脳神経化学)が持っている。そして、アンゲラ・メルケル理論物理学)。科学の博士号を持ちながら、研究以外のことをしているという点で私はメルケルさんに親近感を持っている。


また話は脱線するが、女性の首相で言うとサッチャーは大学で化学を学び、その後研究者をしている。2011年の『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』では、政界引退後のサッチャーが描かれている。サッチャーは夫に話しかけるが、サッチャー認知症で、夫は彼女にだけ見えている。そこから彼女の半生の振り返りが始まる。この映画を見て当時付き合っていた人は「ぼくは先に死なない」とメールをくれた。私はサッチャーの夫のことは何も考えていなかったので、男の人はこの映画を見てそんなことを考えるんだと思った。


メルケルさんの話に戻ると博士号は何に活きているだろうか。養老孟司(解剖学)は『半分生きて、半分死んでいる』の中で、自分にとって虫や解剖も自然物を認識するという行為で、それは生き方だと言っていた。私はそれをまだ、それほど短い自分の言葉にできないが、それは博士号がPh.D.(Doctor of Philosophy)と言われることと同じ話だと思う。考えていくうちにいずれ自分の答えに辿り着くと思っているが、今、水俣病を記録してきた写真家の方にフィールドワークの仕方を習っているので、その題材にしようかとも考えている。いい切り口が思い付かなければ植物をテーマにするが、どうせするなら自分が本当に知りたいこと、また発表の場ももらえることになっているので、誰かに意見をもらいたいことについて調べたい。とりあえず会社の勉強会で、博士号の話をしてみるつもりだ。


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前月分のブログに「『祖母が寂しい』以上の何かを生み出せているか」と書いたが、プレバトで3時のヒロインの福田麻貴がそれを17音で表現していた。素晴らしい。

冬天よ母を泣かせて来る街か

寂しさの力

11月に一番見られたツイートはこれだった。

中森明夫の『寂しさの力』を読んだ。東日本大震災時に、寂しい人ほど、より生きている気がすると思い、田舎にいる母の寂しさを肯定するために書かれた本。いいテーマだ。私も寂しさを抱きしめたくなった。各章で、作者、偉人、芸能人、哲学者の寂しさについて書いている。人は寂しさに惹きつけられる。


私は父が東京に転勤したので東京の大学も受験した。東京で住んだのは小学生のときに住んでいたのと同じ社宅だ。そうしたら祖母が悲しんだ。私が東京に行く飛行機に乗る日には、悲しくて私に電話ができないと祖母は母に言ったらしい。母は、そのまま東京で働いて東京で結婚するのだと私に言った。分からないでしょ、そうなの?と思ったが、今のところ私は東京にいる。祖母は学会で私が熊本に来るのさえ喜ぶ。福岡には寄らないが近くにいるのが嬉しいらしい。ちょっと分かる。
大学に入ったら授業をたくさん受けた。閉館時間まで友達と図書館にいた。留学生の友達も作った。その友達の国にも行った。東京の大学に行かせてもらったという思いがあった。元を取ろうとした。大学を卒業し、その思いは今、国からお金をもらって大学院で勉強してから社会に出させてもらったという思いに引き継がれているが、祖母は私が福岡に戻るのをずっと諦めないので、私は「祖母が寂しい」以上の何かを生み出せているかという思いは根底にまだあるかもしれない。


寂しさの力と聞いて浮かんだのは上記のことだった。直球の寂しさの力というより、母の寂しさを思って作者がこの本を書いたような、誰かの寂しさを経た寂しさの力の話で、同じく11月に読んだ『世界は贈与でできている』の方に近い。


自分自身の寂しさの力についても思い当たるものがある。私がしたいことは、過去の私がして欲しかったことであるということだ。教育実習のときは、実習生と積極的に話さないような子と話したかった。大学院での経験を話すときは、こういう人もいるよと言いたかった。アメリカで思ったこともたくさんある。寂しかったとは違うのだが、声が少ないと誰かに任せておけないから、自分で言う。
寂しいからこそできること、できるようになることを背後に置きながら自分にできることを増やしていきたい。

しょぼ婚のすすめと書生制度

10月に一番見られたツイートはこれだった。

 

えらいてんちょうの『しょぼ婚のすすめ』を読んだ。結婚を再定義する人たちがいて、いいことだと思うけど面倒だなと思っていたらこんな本があり、これでいいじゃんと思った。私が言う結婚とはここに書いているしょぼ婚のことを指すけどこれでどうでしょうと聞けばいい。書生制度は私もいいと思う。

 

作者がリツイートしてくれた。しょぼい起業という言葉があってのしょぼ婚である。どちらもこういうのもありだよ、キラキラしたものだけではないんだよ、生きやすい方法を選んだらそうなったよと言っている。副題は「恋人と結婚してはいけません!」。

 

私は大学院生のとき4年間同棲していたことがある。あちらが学部生優先の寮にいられなくなって、こちらが一緒に住んでいた妹が大学卒業後に大阪に行くことになったので、一緒に住もうということになった。自然な流れだった。楽しかった。一緒に住んで私はすぐアメリカに行った。先のことまで考えてなかったが、その後一緒にいなくなるということがあるとは思っていなかった。

 

自分の経験からも思うのは、結婚って一緒にやっていくって決めることなんだろうなということだ。現在の日本の制度では、結婚して子どもを産むのがいいと思う。恋人と結婚するのはとてもいいと思うけど、結婚しようと思っている人同士が結婚するのもいい、やりやすいだろうなとも思う。

 

10月22日の日経新聞には「『妻はCEO』 夫婦関係はビジネスパートナー さらば恋愛婚 失敗しない婚活(5)」という記事が載った。「結婚は創業だ 夫婦=共同経営者論」、「ロマンチックラブは、いらない」、「交際期間ゼロ日で結婚」、「見合い婚、恋愛婚の次に来るもの」と続く。しょぼ婚は時代の波に乗っているようだ。

 

アメリカでは86歳の元、大学の先生の家に10名前後の学生、ポスドク、先生で住んでいた。ホームステイでもシェアハウスでもなかった。ハウスメイトが代わる代わる研究の話を聞かせてくれるのが楽しくてそこに住んでいた人は違う場所でもそれをやりたがった。私は家はそういう風に開かれていて欲しくて、この本で書生制度を見たときに、同感だと思ったのである。

tayo主催の大学横断型VR研究室見学会がいい

9月に1番見られたツイートはこれだった。

 

大学横断型VR研究室見学会。大学横断型というところがすごくいい。

https://tayo.jp/recruitments/seminar/Z5zuid_dQcCEc9KRQn_Gwg

 

主催のtayoがリツイートしてくれた。tayoは大学を偏差値ではなく研究室で選ぼうというサイトで、tayo初のこのイベントは、研究室見学が学科ごとではなく研究ごとになっている。素晴らしい。

 

私は研究室見学が好きで、相手が研究室に所属していることが分かるとすぐ、今度行かせてと頼む。大学院の受験生として相手が来る場合は、一回一回先生と連絡を取ると大変なので、全部回ろうよと言って他の研究室にも連れて行く。そういう学生がいてくれると、困ったときに機械を借りる先や研究室に入ってくれる人が増えていいのだけど自分以外の研究室見学好きには会ったことがない。アメリカでも、ケロッグの資金で作られた新しい建物の中にある経済学の研究室に行き、コーヒーだけでなく牛乳も常備されていて誰でも飲めるようになっていることに驚いたり、分子生物学の研究室に行きショウジョウバエを見せてもらったり、理論物理学の研究室に行き数式の書いてあるホワイトボードを眺めたりした。ちなみに日本の研究室には漫画が置いてあることが多いので読ませてもらう。

 

さてこのイベントではVR空間上で宇宙生物学の研究室を一気に見られる。素晴らしいよ~。こんなの聞いたことがない。学会では最終日の午後に公開シンポジウムをやることが多く、そこでやればいいと思った。アメリカの学会ではポスドク募集の張り紙を見るが、修士のものは見たことがない。自分で調べて、ひとつひとつ見て回らないといけない。分野で集まって一気に見せてくれるなんて素敵すぎる。女性の集まりはなぜ女性だけでと思うから好きではないけれど、女性研究者で行うのもいいと思う。研究室としても宣伝になるし、先生同士でも繋がれる。最高だ。分野を盛り上げようという気運が高まる。

 

そんなわけで今後もtayoに注目だ。好きなことだったのですぐに書けた。

西洋・東洋と一枚の絵

8月に一番見られたツイートはこれだった。

中田考の『私はなぜイスラーム教徒になったのか』を読んだ。イスラームは心の救いを目的にしていない。アッラーに従うこと、クルアーンハディースに従って生きることが全て。タクシーに定価があると思うなよなどは痛快。西洋の枠組みをもっと認識したいので引き続き読む。

 

7月に読むと宣言していた同じ先生の本だ。西洋の枠組みに関しては古市憲寿さんの『古市くん、社会学を学び直しなさい!!』にも出てきた。橋爪大三郎さんが言うのだ、「社会学キリスト教社会は似ているから、社会学キリスト教をきれいに分析できるのは当たり前なんです。だから、そもそもが概念が違うインド社会や中国社会、日本の社会をきれいに分析できて、初めて社会学は自立できると思ったわけ。そうすると、ヨーロッパ系の社会学が作った基本語彙は、ヨーロッパとかいうローカルな文化に汚染されているから、普遍的認識の道具として使うには不十分なのです」と。2016年の本で、古市さんの「何年ぐらいかかりそうなんですか」に「三十年ぐらいかかるかもしれない」と答えている。


これは私が科学に対して思ったことで、言葉が違うのだとしたら、私はインドや中国、日本にある東洋の科学を認識することができないかもしれない。三十年かかる覚悟はできていなかったけど、私も東洋の言葉で説明することに興味がある。


他に8月に考えていたのは参加型デザインやリビングラボと呼ぶらしいものについて。私はアンケートに答えるのが好きだ。世界を私好みにする行為だと思っている。モニターや被検者もしてフィードバックする。参加型で研究開発をしたら、私が年をとっても研究に関われていいし、祖父母の元にこれどうだったって意見を聞きに来る人がいるのもいいと思う。未来食堂の小林せかいさんが心に焼き付く一枚の絵からアイデアの実現を考えていくと言っており、これは練りたいもののひとつ。縁側のある家で子どもが走り回っていて、大人と子どもがそれぞれテーマを持って自由に研究をしている絵も練りたいものの1つ。話を聞いてくれる人がいると広がっていくので誰かと一緒にできるといいなと思っている。

イスラームと1 mm先

7月に一番見られたツイートはこれだった。

 

イスラーム法学者、中田考の『みんなちがって、みんなダメ』を読んだ。自分はダメだと言っている人は、自分は蛇だと思っているミミズと同じ。傲慢。世間ではあなたはミミズじゃなくて蛇だと言うけれど、ミミズなのに蛇だと思っているから不幸。ダメならダメでかまわない。だってダメなんだから。

 

“私も世界征服をすることにした。世界平和には主体性がない。正義の味方は既得権益を守ろうとする権力の犬。”という『13歳からの世界征服』の感想に続いて、作者がリツイートしてくれた。

 

アメリカに留学したとき、科学って西洋のものだったのかと思った。それで東洋科学について知りたいと思ったが今回、中東の場合を探っていったっていいんだと思った。『私はなぜイスラーム教徒になったのか』も読むつもりで、後日談はこれから生まれるところ。

 

7月は夏休みの公開講座のために細胞のモデルを作ったり、みんなのミドリムシプロジェクトに加わったり、近所を走ったオリンピックのロードバイクを見たり、ノベルティグッズ案を出し合ったり、夜に蝉の幼虫を探し回ったり、藝大のワークショップに参加したり、1キロの強力粉と薄力粉で使い切ったりして、ものづくりを多く含む生活を送った。秋元康は「夢は全力で手を伸ばした1 mm先にある」と言った。全力で伸ばしたわけではないけれど、1 mm先に面白いことがある気がしてならない。手を伸ばすと違う景色が見えるのが面白くてまた手を伸ばすの繰り返し。

一根麺

研究室の元秘書の人の還暦お祝いに長寿を願って一根麺を作った。今回はその記録。食べたのは私で本人にはブログでお届け。参考にしたのはデイリーポータルZの記事だ。https://dailyportalz.jp/kiji/160615196773

①混ぜる。ホットケーキミックス白玉粉に対する水の量ではないのでもっと水を加えたくなるが10分続けると一塊になった。
②こねる。楽しい。私、うどん職人だったかなと思う。
③寝かす。
④棒状にしてねじる、棒状にしてねじるを繰り返す。普段しない動きはプロっぽくていい。
⑤油に浸けて一晩置く。
⑥沸騰したお湯にぴゅんぴゅん入れていく。はずだったのだがハイチュウを伸ばすようにしてにょーんにょーんと入れることになった。
⑦お湯を捨ててお皿に移す。

その後は残った強力粉と薄力粉はニョッキ、うどん、クッキー、葱油餅、すいとん、ワンタン、餃子、いももち、ナン、ガレット、水餃子、モモ、お豆腐ステーキ、ういろう、大根餅、チヂミ、フォカッチャ、団子汁、ケーキ、シチュー、ホットケーキ、肉まん、おやき、チャパティ、スパゲッティ、焼売、マカロニ、生姜焼き、ジョン、お蕎麦にした。作る作ると言ってなかなか取り掛からなかったのに、一旦取り掛かってしまうと作るんだな。こねていると車窓の景色や美術館の絵を見ているときのように回想が始まり安らいでいることを感じる。