そこで終わらずもう一押しがあるかどうか

4月に一番見られたツイートはこれだった。

 

菊池良さんの『タイム・スリップ芥川賞』を読んだ。外見がポップだと思ったら中身もポップ。表紙の2人がタイムマシンで芥川賞とその時代を見に行く。こういう形だったから読めた。文学までアテンドしてもらった。

 

先月の宇野さんに続いて今月は菊池さんの話をする。最初に菊池さんを知ったのは世界一即戦力な男。そのサイトを作って就職したLIGでの記事も面白い。今は会社を辞めて本を書かれている。『タイム・スリップ芥川賞』が最新作だ。

私が菊池さんを追っているのはこういう風に楽しむことができるということを教えてくれるから。「こうしたら面白そう」から「やっちゃおう」が速そうで、私も、菊池さんならやるなと思って実行することがある。+αの一言があるのだ。例えばこれは菊池さんのTwitterでのプロフィール。


犬がいるでしょ。これなの。菊池さんは犬を付ける。だから私も付ける。もう一押しする。付けよう。思いついちゃったら付けよう。菊池さんなら付ける。そして菊池さんの人生は付けていたらこんなところに来たよということを示してくれている。ちゃんと数を打っているのだ。

余談だが、4月21日のカンブリア宮殿はBASEで、BASEの鶴岡裕太さんも菊池さんと同じくひきこもりの経験を持っていた。ひきこもった期間は後の人生を豊かにしていると思う。私はこの人はちょっと違うと思ったらそういう期間がその人にないか探してしまう。バネになっているんじゃないかな。



THE HANGOUTに生かされていた話

3月に一番見られたツイートはこれだった。

 

吉田豪の『聞き出す力』を読んだ。インタビューの極意ではなく、面白エピソード。楽しかった。森元首相に対する好感度が一時的に上がった。

 

たくさん見られて、私は普段Twitterをしてないんじゃと思った。作者は慕われている人だと思う。

私が慕っているのは宇野常博さんだ。批評家とはこういう人のことを言う。最初の非常事態宣言のとき私は働いていなくて、宇野さんのラジオTHE HANGOUTに生かされていた。J-WAVEが収録をYouTubeにも上げてくれており、YouTubeの勧めで出会い、ずっと聞いていた。実際にラジオで放送されていたのは2014年から2016年。YouTubeではラジオで音楽を流している間の会話も聞くことができ、収録の様子がよく分かる。母に電話するとなんでも空気階段で返されるが、そのときの私はなんでも宇野さんはと言っていた。大学生向けラジオで、大学生のようにメモを取り、例えば宇野さんが「その映画の話したら3時間かかる。2時間の映画なんだけどね」って言っていたことなどを報告していた。2020年の一番の収穫として私は、宇野さんを知ったことを挙げている。

 

大学院に進学したとき研究室の先生が、芹沢光治良の『人間の運命』を貸してくれた。先生は家にこもっていたときにこれを読んで、実験しかないと思い研究室に戻ったそうだ。博士課程の卒業生は自分が辛かったときにどう乗り越えたかという話をするので、博士課程になると全員そうなるのと思っていた私は、そうなったらこれを読もうと、『人間の運命』の全巻をお守りのように持っていた。結局卒業するまで、1巻で終わる芹沢光治良の2作品は読んだものの、『人間の運命』は1巻の最初しか読まなかった。天皇陛下が小学校に来るところは覚えている。けれどもお守りとしての役割は果たしてくれた。

もし博士課程に進学する人がいたら、そうでなくてもこの先悩みそうだなと思ったら、ぜひYouTubeにはTHE HANGOUTがあるからと言いたい。「25歳までに働いている人は信用しない」とか宇野さん言ってくれるから。「仕事と家庭しかないのかよ」とか言ってくれるから。少し離れていると、そうでした、そう思っていいんでしたと忘れてしまうけど、今は遅いインターネットラジオもある。聞かなくてもいいけど、私にとっての『人間の運命』になると嬉しい。もし聞いてくれたら世界の真実、記憶の扉、スノーホワイトの話をしよう。

ちなみに私はその先生に、あなた向きのところがあったから一緒に行こうと言われてそのままそこで働き出した。以来私は、私に合っているものは人が見つけてくれると思っている。思い付いたらぜひ私に話をください。

一番いいのはギャグ漫画でしょ

2月に一番見られたツイートはこれだった。

 

『破壊神マグちゃん』の3-6巻を読んだ。1,2巻に続きすごく好き。可愛いのはマグちゃんだけど、面白いのは圧倒的にナプターク、恐るべき邪神。

 

1,2巻を読んだときも多かったので、ファンの多い漫画なのだと思う。私はギャグ漫画が好きだ。ジャンプ+であれば『悪魔のメムメムちゃん』が好きだった。(ギャグ漫画じゃないけど『タテの国』はすごかった。)連載しているのであれば『トマトイプーのリコピン』。映画でもコメディが一番好き。当たり前だろと言いたくなる。

 

妹は、一番かは知らないが、知識が得られる漫画が好きだという。私は『聖☆おにいさん』のような知識を下敷きにしたものは好きだけど、「勉強になる」が前面に出ている漫画は好きではない。『あさきゆめみし』や『火の鳥』など、その世界を知ることができるものはいい。そういう制度があると教えてくれた『ヒカルの碁』もいい。碁のルールについては分からないままで、それでいい。

 

去年は均すと一日に二冊漫画を読んでいた。単に面白いから読んでいる。まとめる気もない。漫画家の友達はよくアウトプットする。ペットも旅行も飲食もドラマの考察もすべて世に出す。やりたいことがたくさんあって時間が足りないそうだ。そういうことができたらしたくなるのかもしれないが、本が好きなら感想を書いたらと言われても、そういうことをしたいと思わない。そして、「すごくやりたいことをしているかと言われたらそうではないけど、身近なそれなりにやりたいことが尽きたら考えようと思っていても、それなりにやりたいことは尽きないんだよ、恐ろしいことに。たぶんすごくやりたいことを考えてそれが実現できるようにしていくことは面倒臭いんだと思う」という話をした。やりたいことをやっていると次にやりたいことが出てくる。それでいいと思うけど、自分一人では見つけられないルートも確保しておきたい。これやりたいと言っておくとか、これやらないと言われたら乗るとか、そういうことだけしている。たまには、えいやってこともしないと。

楽しむためではなく生きるために歩いていた。

1月に一番見られたツイートはこれだった。

 

久住昌之谷口ジローの『散歩もの』を読んだ。『孤独のグルメ』のコンビ。原作は実際に散歩して作られている。原作裏話が面白かった。絵が上手いんだって気が付いた。

 

私のスマホのメモ帳には「運動とは運を動かすこと」と書かれている。テレビで誰かが言っていてメモった。コロナが始まったとき私は、アメリカで長く研究をするために一旦日本に戻ったんだけど研究以外のことをしてみてもいい気がする、と思っていたらコロナで戻ろうにも戻れないとなっていた。それで歩いていた。歩けば誰もその日の私を否定できなかった。そのメンタルを手に入れるために毎日歩いていた。距離はどんどん伸びて三万歩でも歩けるようになった。私にとってそれは散歩というよりストイックに歩くことだった。今は歩かなくても平気だけど、それくらいの距離なら歩こうとなる距離は変わっていなくて移動が便利になった。

 

歩く習慣は人と散歩をする機会もくれた。一昨年父方の祖母が亡くなったとき、私は3週間実家にいて、毎日のように夜、母と歩いていた。昨日こっちを歩いたから今日はこっちという感じで歩き、長崎みたいに細い道のエリアがあることも発見した。今でもあのエリアを見に行こうとなる。知り合いと歩くこともあった。相手がどれくらい歩く人なのか分からないとずんずん行きづらいが幸い歩く人だったので何回か歩いた。どうでもいい話しかしなかった。話すならご飯を食べながらの方がいいと思う。でも散歩をすると何かが体から抜ける気がする。行った先のことより移動中のことを覚えているのも同じことが原因なんだろうか。

地域の力

2021年に地域で行ったことをまとめておきたい。自分のための記録になっている。


①24時間開放のサードプレイスが作られていくところを見ていた。

本や漫画を読ませてもらいながら、ときどき食べ物ももらいながら、環境が整えられていくところを見ていた。非常事態宣言で図書館も閉まっていたとき、私はここに生かされていた。友達もできた。いつか私もそういうことをしないといけない。

 

②大学で夏休みの公開講座の手伝いをした。

ポスターを見たり、実験の準備をしたり、当日子どもを見たりという手伝いをさせてもらった。学生にはバイト代が出たが、手伝わせてもらえる方がありがたかった。

私は中高の理科の教職免許を持っている。中学生は私に、いい先生になれるよと言ってくれた。授業を受けてくれた彼らにあなたたちのおかげでと言うためにも、教えることはずっとしてみたいと思っている。外国でも教えてみたくて、アメリカの学会で折り紙顕微鏡の使い方を教えたことがある。大学はじゃあポストが空いたら教えるよと言ってくれたが、何を教えたらいいか分からない。まずは一回の授業の中の一部の時間をもらうことを狙っている。


③フィールドワークの手法を学びながら、気になっていることを共有し始めた。

水俣病を記録してきた写真家の方にフィールドワークのやり方を学んでおり、一緒に学んでいる人たちと各自が気になっていること、それに関して調べてみたことを共有している。市の助成を受けていて参加費は無料。自分が本当に知りたいことを調べるか、調べたらある程度面白いまとめができそうなことを調べるかで迷っている。大学生のときからフィールドワークをしてみたかったので、フィールドワークを楽しむという点では後者がいいのだけど、発表の場までもらえるというのだから前者にして意見をもらうのもいい。


④5人チームで、植物で生きていきたい人の応援を始めた。

ビジネスを今すぐしたい人もいずれしたい人も両方参加できるのが面白いこの企画。私はいずれしたい人として応募し、今すぐしたい人を応援する側に回った。チームを組む場が提供されているだけで参加費は無料。全員で集まるのは3回のみで、あとは各チームで好きに進める。6人の今すぐしたい人の話を聞き、自分のしたいこととは遠いけれどこれで生きていきたいという人を応援して本当にその人がそんなことができるようになったら自分のときもできるだろうという理由で植物で生きていきたい人のチームを選んだ。

それぞれ別の話なのだけど、同じ①の利用者と④で出会ったり、③のテーマに④を絡めたり、②で知ったことを④で活かしたりしている。いずれはしたい人のいずれはしたいことを聞くのも面白い。ここで教わったことは会社で活かしたりもした。

 

今、大学と会社の両方に所属できているので、もっと地域に根差してみようと思ってこれらに取り組んだ。みんなが自由研究をやっていたらいいな、縁側から自由に入って来られたらいいな、そこでお互いの研究について話し合えたらいいな、科学をみんなで楽しめるといいよね、これ面白いよ、それ面白いじゃんってたくさん言いたいよねという思いがあって、町の人たちと話しながら力をもらっている。コロナ渦で出会えた人はとても多かった。

メルケルさんに親近感を持っている話

12月に一番見られたツイートはこれだった。

池上彰の『世界を動かす巨人たち<政治家編>』を読んだ。プーチンメルケル、ヒラリー、習近平エルドアンハメネイの話で、メルケルとヒラリーの話が面白かった。特にヒラリーは応援したくなった。2016年の本で、この本はまだ彼女がトランプに負けることを知らない。メルケルさんお疲れ様でした。


博士号を持っている有名人と言えば誰が思い浮かぶ?まず、Queenブライアン・メイ(天体物理学)。東京オリンピック女子ロードレースの金メダリスト、アンナ・キーセンホーファーは数学者だった。日本人だと、大前研一原子力)や安宅和人(脳神経化学)が持っている。そして、アンゲラ・メルケル理論物理学)。科学の博士号を持ちながら、研究以外のことをしているという点で私はメルケルさんに親近感を持っている。


また話は脱線するが、女性の首相で言うとサッチャーは大学で化学を学び、その後研究者をしている。2011年の『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』では、政界引退後のサッチャーが描かれている。サッチャーは夫に話しかけるが、サッチャー認知症で、夫は彼女にだけ見えている。そこから彼女の半生の振り返りが始まる。この映画を見て当時付き合っていた人は「ぼくは先に死なない」とメールをくれた。私はサッチャーの夫のことは何も考えていなかったので、男の人はこの映画を見てそんなことを考えるんだと思った。


メルケルさんの話に戻ると博士号は何に活きているだろうか。養老孟司(解剖学)は『半分生きて、半分死んでいる』の中で、自分にとって虫や解剖も自然物を認識するという行為で、それは生き方だと言っていた。私はそれをまだ、それほど短い自分の言葉にできないが、それは博士号がPh.D.(Doctor of Philosophy)と言われることと同じ話だと思う。考えていくうちにいずれ自分の答えに辿り着くと思っているが、今、水俣病を記録してきた写真家の方にフィールドワークの仕方を習っているので、その題材にしようかとも考えている。いい切り口が思い付かなければ植物をテーマにするが、どうせするなら自分が本当に知りたいこと、また発表の場ももらえることになっているので、誰かに意見をもらいたいことについて調べたい。とりあえず会社の勉強会で、博士号の話をしてみるつもりだ。


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前月分のブログに「『祖母が寂しい』以上の何かを生み出せているか」と書いたが、プレバトで3時のヒロインの福田麻貴がそれを17音で表現していた。素晴らしい。

冬天よ母を泣かせて来る街か

寂しさの力

11月に一番見られたツイートはこれだった。

中森明夫の『寂しさの力』を読んだ。東日本大震災時に、寂しい人ほど、より生きている気がすると思い、田舎にいる母の寂しさを肯定するために書かれた本。いいテーマだ。私も寂しさを抱きしめたくなった。各章で、作者、偉人、芸能人、哲学者の寂しさについて書いている。人は寂しさに惹きつけられる。


私は父が東京に転勤したので東京の大学も受験した。東京で住んだのは小学生のときに住んでいたのと同じ社宅だ。そうしたら祖母が悲しんだ。私が東京に行く飛行機に乗る日には、悲しくて私に電話ができないと祖母は母に言ったらしい。母は、そのまま東京で働いて東京で結婚するのだと私に言った。分からないでしょ、そうなの?と思ったが、今のところ私は東京にいる。祖母は学会で私が熊本に来るのさえ喜ぶ。福岡には寄らないが近くにいるのが嬉しいらしい。ちょっと分かる。
大学に入ったら授業をたくさん受けた。閉館時間まで友達と図書館にいた。留学生の友達も作った。その友達の国にも行った。東京の大学に行かせてもらったという思いがあった。元を取ろうとした。大学を卒業し、その思いは今、国からお金をもらって大学院で勉強してから社会に出させてもらったという思いに引き継がれているが、祖母は私が福岡に戻るのをずっと諦めないので、私は「祖母が寂しい」以上の何かを生み出せているかという思いは根底にまだあるかもしれない。


寂しさの力と聞いて浮かんだのは上記のことだった。直球の寂しさの力というより、母の寂しさを思って作者がこの本を書いたような、誰かの寂しさを経た寂しさの力の話で、同じく11月に読んだ『世界は贈与でできている』の方に近い。


自分自身の寂しさの力についても思い当たるものがある。私がしたいことは、過去の私がして欲しかったことであるということだ。教育実習のときは、実習生と積極的に話さないような子と話したかった。大学院での経験を話すときは、こういう人もいるよと言いたかった。アメリカで思ったこともたくさんある。寂しかったとは違うのだが、声が少ないと誰かに任せておけないから、自分で言う。
寂しいからこそできること、できるようになることを背後に置きながら自分にできることを増やしていきたい。