多様性はなぜ大事か

1月に一番見られたツイートはこれだった。

 

リエゾン』の1,2巻を読んだ。児童精神科の研修医の話。先生自身も発達障害。知らないことを学べる。

 

12月からツイートの閲覧数は、自分のページに行かなくても見られるようになったね。

 

リエゾン』には主人公が、鞄の中に不必要に同じものがたくさん入っている状態を見せる場面があった。そういうことは自分にもよくあると言われてしまうけど、努力しても努力してもこういうことが日常茶飯事の自分には、よくあることだと返されてしまうことがつらいのだと主人公は言っていた。
発達障害なり何なりその症状に名前があることが分かったら、対応方法も分かっていいのかと思っていたら、それを受け入れることは本人にとって簡単ではなかったり難しい。映画や漫画はこういうときこういう風に感じることがあるということを教えてくれるが、場面緘黙症なども理解するのが難しいなと思う。

 

半年くらい前からLGBTの人に話を聞いている。何回か聞いているのにLGBTの問題ってみんなの生きやすさの問題だと分かったのは最近のことだ。LGBTの問題に考慮しないといけない世の中になっているから考慮していると思っていたし、LGBTの問題に取り組むことはLGBTの人にとっていいと思っていたけど、こういうことがあってこうしたという事例を聞いていたら、いいなと思って、ああそうか私はそういうところで暮らしたいと思って、LGBTの問題ってみんなの生きやすさの問題だと気付いた。自分がメジャーな側にいる場合は関係のない話だと思っていたけど、何かしらの分野でマイナーな側にいることはあるので、そのときそこに配慮があると思えるととても安心できる。
今はコンプライアンスばかりで大変なのかと思っていた。誰も怒らせないようにするということは全体を窮屈にすることだと思っていた。でも根本はただ単に、どういう社会だといいかなという話なのだと思う。障害のある子が一人いるとクラスのみんなが優しくなるとかいうドキュメンタリーは綺麗ごとではなくそういうことが考えられた結果なのだと思う。これは明らかなことなので、多様性が大事ということは当たり前になると思う。それでもそれを早められたらいいね。
ヒロアカのスピンオフ漫画『ヴィジランテ』で、ヒーローは助けることではなく早く助けることが求められていると言っていた。困っている人は助けてではなく、早く助けてと言っているでしょと。

今年は教科書通りにする。

12月に一番読まれたツイートはこれだった。

 

関川夏央谷口ジローの『海景酒店』を読んだ。香港はよく舞台になるから行ってみたい。

 

帰国時のPCR検査がいらなくなってから、ホーチミンシェムリアップ、クアラルンプール、釜山に行った。今は台湾一周とベトナム縦断、ルアンパバーンバンコクシンガポール縦断を狙っているが、香港、マカオも気になっている。東南アジアが好きでまだまだ見たいところもあるけれど、東南アジアは結構行ったなとなったら次はどこに行くのだろう。その頃にはまた外国に住んでいるだろうか。

 

昨年のトピックは、情報誌の編集委員になったこと、GASでのwebアプリや、マクロを触るようになったことだった。1-3月は昨年度なので一昨年のような気がするが、その期間にはワークショップも行った。一年間に見た映画も初めて数えた。ちなみに53本だった。

 

昨年の方針は見切り発車をすることだった。家族でカルタをすると妹はよくお手付きをする。私も早く終わる方なのだけどお手付きをしてもいいからやるということは大事だと思う。しかしこの方針は、私には前のめりさはないのに、大体そうしているということで3月には消えた。

今年の方針は教科書通りにすることだ。まずお手本を探してそこから作っていく。公言しておくことで共通言語ができていいのではと思う。これを基としてどうかという話をする。出会ったときからそうだとまどろっこしいかもしれないが、今年はこうすると言っておけば付き合ってもらえそうだ。

 

自分の状態がいい期間がどれだけ続くかは分からない。自分との付き合いが長くなっていく以上、自分の元気は自分で維持しなければならないのかもしれない。だけどゾーンに入ったようにうまくいかないときもあるから、今、いいうちに私は何をどれくらいやればいいのだろうと思う。年を取るほど人を幸せにすることに力を注ぎたくなってくるけど、自分のやりたいことも燃やしながら、できることを増やしておきたい。

 

大学の大先輩がジャンプするにはしゃがまないといけないと言った。学位取得後、もうジャンプの期間に入ったと思った私は彼女に、ジャンプしている気がしないのですがと言った。すると彼女は、私は卒業後もまだまだしゃがんでいたと言った。今私が思うのはこれがジャンプだと困るということだ。楽にやれるようになったおかげでジャンプしているという感覚もないがしゃがんでいるという感覚もない。これでは私は立ち上がっただけだ。

楽に越したことはないが挑戦は楽しいので、壁には当たった方がいい。うへ~と言いながらも、お尻を地面に着けることなく、壁にぶつかれればいいと思う。ときどき、挑戦している人たちと話せれば、それは楽よりもっと楽しい。元気で、教科書通りという方針で、今年もガンガン行こう。

証明写真とONE PIECEに見る物価

11月に一番見られたツイートはこれだった。

 

FreeDPEが500円になっていたので、証明写真、履歴書カメラ、美肌証明写真をダウンロードした。これらは無料。美肌証明写真がよかった。写真印刷はセブンイレブンだけ40円になっていたので、他のコンビニを使った。10年振りにパスポートを申請した際の変化はこれくらいだった。


    2012年→2022年
FreeDPF    0円→500円 ただし他の証明写真用無料アプリあり
写真印刷  30円→30円 ただしセブンイレブンのみ30円→40円

 

11月には私も妹もワクチンを3回打って海外に行った。私はカンボジアベトナム、マレーシア、妹はニュージーランドに行った。お互いにその国に友達がいるからだ。私たちはお土産にその国のONE PIECEの最新刊を買うことがある。今回ベトナムでは101巻、22000ドン(110円)、ニュージーランドでは98巻、15ドル(1400円)だった。ちなみに日本では104巻、528円で10年前だと68巻、484円だったようだ。差は36巻、44円。

ベトナムでは何でも安いので全部無料だと思って食べた。また同じものに出会えるか分からないので、珍しいぞと思ったら食べる。アンコールワットの遺跡群を3日間毎日見ていたのも食べるためだ。1日に食べられる量には限りがあるので食べるために長くいて、いるので遺跡を見る。

 

ONE PIECEの最新刊とその価格
ベトナム     101巻   110円
ニュージーランド   98巻 1400円
日本(2022年)    104巻   528円
日本(2012年)      68巻   484円

 

ここから先はもう物価とは関係のない話。研究室の人は学会でアメリカに行っている。ずっと先生と行っていたので一人で行くのは初めてで、Wi-Fiを借りていくので何かあったら電話すると言っていた。聞かれたので私はWi-Fiは借りていかないです(そもそもメインはガラケーだし)と答えると、簡単に行けて羨ましいと言われた。簡単だったかと言われると、精神的ハードルは低いけれどそれでも私だって慣れていったと思う。郊外を混ぜておくと良いとか自分の好きや楽しいを知っていった。そして開拓が進んだ。献血もそうで未だに注射は苦手で、右手で太ももをぎゅっとしているので、打つ人に「苦手なんですね、大丈夫ですか」と言われる。注射が刺さり続けているという状況なので、最初のときは左半身が次の日筋肉痛になった。それでも私はONE PIECEのジンベイのように献血するのだと思っている。銭湯も最初のときは、Google Mapsに出てきて気になっていたけど、私の市には一つしかなくて、その一つのは浴槽が木でできているんだと思って行った。でもお風呂に入るしかすることがなくて、何するんだと入ってるしかないだろうと思っていたらのぼせて、しかし脱衣所は番頭さんが見ているのでへろへろと着替えて、銭湯を出て銭湯の前で座り込んだ。だけど銭湯を好きな人がいるのにおかしいと思って、東京には銭湯が多いのでまたGoogle Mapsを見て出かけて、今では100か所近く行っている。結局私にはここはこういう感じかというのが面白かった。そういうわけで私は挑戦するのが好きというところがあるのだけど、ベトナムに友達が帰国していつでも来てと言っている、行くか、ベトナムには行ったことがあるのでベトナムやタイを経由しないといけないシェムリアップカンボジア)とセットにするか、それが考えやすい、何日くらい行くかな、だいたいこれくらいの大きさみたいだ、じゃあ何日にして、航空券はこことここが安いからそうしよう、乗り換えも考慮してって感じでやるのは、面倒ではあるんだ。そういうのを乗り越え乗り越え、やっているのだ。

弔辞

大ママ。私は大ママんちの広い家を走り回るのが好きでした。大ママはすぐ後ろから片づけて回ります。ある程度大きくなってからも私は大ママんちに行きました。面と向かうと何を話していいか分からないのだけど、行っておくかと思って行っていました。大学生になると私は携帯電話を持ちました。今も同じものを使っています。私はそれを使ってスーパーでの買い物の帰りに大ママに電話するようになりました。私は大ママから最近の話や昔の話を聞きました。大ママの口癖はおおごとです。大ママは私からスーパーに並んでいる野菜の話を聞くのが好きでした。私は珍しい色のにんじんなんかがあると大ママに報告しないとと思って買い物をしました。大ママは私が珍しい野菜に挑戦すると感心感心と言いました。そう言われると私は何もなかった一日を悪くなかったと思えました。おばあちゃんに毎日のように電話していると言うと周りの人に言うと驚かれました。私は幸せだったようです。

 

大学進学時に上京するとき、大ママは涙が出るから沙彩ちゃんに電話できないと母に言ったそうです。私は「大ママが悲しい」以上のことをしないといけないと思って、規定以上の授業を取ったり、いろんな人と話したりしました。結局周りの人を幸せにすることが大事だなんて大人が言うようなことを私も思うようになったけど、20歳の私に納得してもらえるように私は「大ママが悲しい」以上のことを考え続けます。

大ママが亡くなったと聞いたとき私はこれからは大ママに見られると思って恥ずかしいなと思いました。珍しい野菜も切ってフライパンをいっぱいにして焼いているだけだから。リュックサックいっぱいに野菜を詰めて頭にお米を乗せて運んでいることもあるから。でも見ていてくれたらいいと思います。未央ちゃんは今、飛行機でニュージーランドから戻ってきているところです。私は先週、カンボジアベトナムに行きました。大ママが心配しないように帰ってきてから言うようにしていたけど、これからは行くところから見られますね。春に産まれる未央ちゃんの赤ちゃんも見てください。大ママはより多くのひ孫を望んでいましたね。私はひ孫の話も聞こえているのだけど、大ママに私たちの人生を見ていて面白いなと思ってもらうことを望んでいます。ありがとう大ママ。

幸せでいればいいと思ったカンボジアと幸せの形はどこに向かうと思ったベトナム

大学の友達がベトナムに帰国したのでベトジェットで会いに行った。カンボジアにはどうせ直行できないのでカンボジアベトナムをセットにした。

 

カンボジアではアンコールワットポルポト政権のキリング・フィールドを見た。3日券で毎日石の建造物を回った。全部自転車。ロリュオス遺跡群までも自転車で行った。兵庫県で防犯登録されている自転車で、鍵のキーホルダーはONE PIECEだった。それに乗って稲の横をひたすら走った。途中で焼きバナナを買って食べながら車と一緒に走った。今日も石って思った。だけど池の水の風景が美しくて、そのそばに住んでいるのであればとりあえず幸せだなと思った。最後の日私はノンテン・バテーを買った。カンボジアバインミーである。1ドルって言われたとき100個買おうかと思った。そのあとトゥクトゥクで空港に向かった。空港に向かいながら私は、この国にもらってばかりで何も返せてないと思った。そしたら大地が幸せになればいいと言った気がした。幸せになって溢れたものを人にあげたらいいって。カンボジアではたくさん友達がいないのかと言われた。人との営みの中で幸せを作っていけばいいのだ。

 

そうしてベトナムに戻った。11年振りに訪れたのに何も変わっていないじゃないか、変わるつもりないのというバイク。歩くのは得意だけど、あれをよけて渡らないといけないと思うと嫌になる。友達は会って早々、私に年金とiDeCoの話をした。9年ぶりに会っても今の話をするってことはこの先ずっと私と彼女は更新され続けていつだって楽しめるんだなと思った。彼女は7年間日本で働いたのだが、今円安で私が働いていた期間は何だったのかと嘆いていた。そして円とドルとドンに資産を分散させるとか、金を買うとか、あとはベトナムで整形が流行っているという話をした。彼女は私の足の上に自分の足を乗せて、私は足踏まれてるなあ、ベトナム人の距離感だなあと思いながら、豆乳入りベトナムコーヒーを飲みつつ話を聞いた。それから映画館で『Black Panther: Wakanda Forever』を見た。フィリピンで『Beauty and the Beast』を見たときは、英語圏だとすぐ公開できるなとだけ思ったのだけど、今回はこれが世界最高峰の映画なのだなと思った。カンボジアでは幸せでいればいいと思ったのに、これを見て私は幸せが何か分からなくなった。ベトナムにはすき家ジョリビーマクドナルドがあった。都会なら便利なものはあって欲しい。でもこの映画、たくさんの人が協力し合って作られたのが分かる。これをベトナムや日本がやるかと言うとやらないと思う。だけど資本主義の中にいるのなら目指すべきはGAFAにならないか。ときどき映るアメリカのあの家に憧れないか。

 

その後私はマレーシアに行った。空港の周辺しか見てないが、また違う国である。どこに答えがあるかは分からないけど、幸せと便利さはこれまでたくさんの人が考えてきた問題で、いろんな国が国ごとにそれぞれの解を出しているのではないかと思う。私はこれからそれを見て回りたい。

したいなあって思うだけでも意味はあるのか

10月に一番見られたツイートはこれだった。

 

「転生ゴブリンだけど質問ある?」の1-6巻を読んだ。毎話次の話が気になるので一気に読んだ。ジャンプ以外の漫画を読むと、漫画っていろんなのあるなあって思う。

 

ジャンプだとハンター試験や中忍試験があり、部活ものなら真面目回の途中に試験対策や文化祭がありなどがある程度決まっていて安心して読むことができる。なのでジャンプ以外の漫画を読むと、まず世界の枠組みを教えてと思う。だけどそういう漫画だってもちろんありだ。その掛け合わせは今までなかったというパターンを見ると、ありとあらゆる形がありそうで、私の頭から漫画を出したらどんなものが生まれるのだろうと思う。
読まれることがない中で描こうとはならないので、図工の時間みたいにその時間が設けられたらと思う。「図工の時間」は私の頭の中に転がっている考え事のひとつで、図工の時間ってなんだろう、どういうのがあるだろう、どこにあるだろう、どうしたら生み出せるだろうと考えている。

 

もうひとつ最近の考え事の話。言ってたら叶ってるという話だ。私は院生のとき留学で溜まったマイルでフィリピンに行った。フィリピンは東南アジアにあるキリスト教の国で思っていたのと全然違った。国が若くて私はこの国と仕事がしたいと思った。社会人になり最初の仕事はフィリピンとのものだった。私は忘れていてそう言えばフィリピンと仕事がしたいと思ったんじゃん、最初の仕事でそうなってるじゃんと思った。上手くはいかなかったけど。
「次の旅行では島に行きたい」と思ったら研修で行ったフィンランドで島に行ったし、「次の旅行では陸路で国境を越えたい」と思ったらラオス人の帰省に付いて行ったときタイにも行った。そして最近、大島と宮古島には行ったけど、私はまだ島にはまっていなくて、手軽なところとして佐渡島に行きたい、調べたら2024年になったら飛行機が飛ぶようだ、新潟まで行ってそこからフェリーは遠いからそのときに行こうと思っていたら、友達が新潟大学助教になり研究室見学に行くことになり、佐渡島にも行けるよと言われて本当だ港近いじゃんとなり行くことになった。
今の仕事もそうだ。大学の先生に会ったときに、私の授業で調べていたことを仕事にしているんだねと言われて、そう言えばそのときのテーマだったと思い出した。
どれも言ってたら意図せず実現していたこと。たくさん言ってたらどれか叶うというだけかもしれないけど、どれもぽろっとしているので、したいなあ、やりたいなあという気楽さが大事なのかなと考えていた。台湾一周したいとか、ベトナム縦断したいとか、私は他にどんなことを思っただろう。ぽろっとにもいいぽろっとがあるのかな。

スケッター:介護・福祉のボランティア

このブログは前月に一番見られたツイートをテーマに更新をしているが、ときどきある程度まとまったら書くということもしている。強力粉と薄力粉でいろいろ作った話やジブリゆかりの地との出会いなど。そして今回書きたいのはスケッターを14回したという話だ。オンライン工場見学についてもいつか書きたい。

 

スケッターは介護・福祉のボランティアを指す。報酬は交通費なしで1時間1000円、オンラインなら500円というところが多い。時間は3時間程度でほとんどお昼をまたがない。仕事内容ごとに感想を書いていく。

 

  1. 掃除

ベッドの下の掃除(人間はルンバではないので立つとしゃがむの繰り返しは疲れる)、水回りの掃除、ドアノブや手すりの除菌、運動機器の除菌(1分間×3セットでデイサービスの利用者が何回もぐら叩きをできたかを記録した後除菌する)を行った。黙々とできるものは好きだし、こういうスケッターがあるんだと思ったが、掃除をしてもまた汚れると思うと繰り返しはやれない。スケッターがいないときは掃除をしていないのかなと思うこともあった。

 

  1. お茶出し、配膳

お茶の好み(温かい方がいいとか、お水の方はいいとか)を聞いて注いでいく。飲んだ量を記録するところもあった。食事は人により完全食、ペースト食、お薬付きなど違うので、名前と一致させながら運ぶ。一緒に食事をいただくこともあった。完全食の利用者はペースト食ってどうなんだろうと横目で見ながら食べているのだと言っていた。やり慣れてくると早く動けるようになる。一度調理にも加わった。14人分のお味噌汁を作ったが誰にもお味噌の量や味をチェックされなかった。

 

  1. 傾聴

私はこれが苦手で間にこれがあるとこの時間にこれだけの人と均等に話さないとと思っていた。会話を盛り上げられなくてすみませんと思っていた。でも途中で私の祖母もそう簡単には話さないぞ、でも話しかけられるの自体は嫌いじゃないぞ、祖母みたいなものかと思って話すようになった。スケッター内での上達があるとは思っていなかったので驚いた。

 

  1. その他

地域のお寺での夏祭りのお手伝い(景品を選んでもらうところにいた)、施設での夏祭りのお手伝い(浴衣や法被を着てもらい盆踊りをした)、本の感想を書く、お仕事のインタビュー、介護漫画をアニメーションにしたときの声の録音。スケッターの内容を考えるのが上手いですよね。スケッターでは他のスケッターに会うことがあまりないので他のスケッターとお話できると楽しかった。盆踊りを覚えているとか着付けができるとか、ほんと何でもできておいて損なことはないなと思った。自分のペースで片付く掃除が一番好きで、一緒に盛り上がってください系は苦手なのだけど、大人になると苦手なことをすることが減るので、もっと適任の方が地域にいるだろうにと思いながらやらせてもらった。

 

面白いなと思うのはジモティーと同じでやる前から募集の文面ややり取りでそのスケッターが当たりか外れかが分かるということ。ちょっと変だなっていうやつはやっぱ変だし、ちゃんとしているところはちゃんとしている。私を仲間に入れてくれる。ただどこも、コロナ渦でも外の人を入れてみようというところは、いい介護施設ではあると思う。そういう人がいてくれるところはいい。だから手伝わせていただいたときは私にもっと力があればと思う。あとは年を取るということとか一人一人できることが違うこととかも考えた。今の暮らしに不満はなく自分の体がもっと動けばと思うだけとよく聞いた。迷惑をかけていて申し訳ないとかせっかくやってくれるのだがら行事は楽しむしかないとか情けないとか後遺症のない病気で早く逝きたいとか。スケッターでは介護施設の様々な挑戦と自分の変化を見ることができた。