Twitter歴10年

研究室が10周年なら、ブラック研究室に入った友達のツイートを見るために始めたTwitterも10周年なので振り返る。私のツイートには3種類ある。

 

1. 感情や気付きの記録

最初は何を呟けばいいのか分からなかったけど、徐々にこれは残しておきたいなと思ったものを記録するようになった。正確に記録するために、嬉しい、悲しいなどの形容詞はあまり使わない。振り返ってみたときに自分で、こんなことがあった、こんなことを思ったと面白いのは①。当時の感覚をよく思い出すことができる。Twitterに記録したいようなことがあれば、なにはともあれ収穫があったということじゃないの、刺激を受けることができたと、ひとつの体験のバロメーターにもなっている。俳句みたいにできたという感覚がある。

 

2. 読んだ本、漫画、見た映画の感想

本の感想を書くようになってから最近Twitterを開いていないなということがなくなった。本の感想を書くために定期的に開いていると、①に関して書きたいことも、頭の中で流れていってなくなるということがない。こちらでも面白かったとは言わず、読み終わって、誰かに勧めたとか、しばらく表紙を眺めていたとか、Wikipediaで検索したとか言う。行動で面白かったことを伝えたい。村上春樹のようにまるで何々のようなと比喩を使うこともある。面白いを書き分けたい。漫画に関しては何巻まで読んだかの確認にTwitterを使っている。作者や編集者が見てくれることがあるのも面白い。そういうときは他の作品も読んでみようと思う。

 

3. ある期間を振り返ったときのメモ

私は名言をデスクトップのメモ帳に溜めて、半年ごとに、Twitterに書いた後、削除している。一か月、半年、一年に読んだ本、漫画、見た映画も数えるようになった。そして半年ごとによかったものを選ぶ。人に勧めるときに、ああ、私、桐谷さんの本がよかったと言ってるって分かるのが便利。それを読んで何かが変わったというものを選ぶことが多い。よく200冊は読んでいると言っていたので最初に数えたときは本当にその通りで安心した。嘘じゃなかった。今は漫画に押されがち。ちなみにこのブログは、一か月で一番見られたツイートをテーマに書く、ある程度数をこなしたら振り返るということにしている。トリガーがあるから書ける。

 

まとめは特にない。続くものに出会ってよかったなと思う。

所属研究室の10年

所属していた研究室が10周年を迎えたので振り返る。

 

1年目: 他大から研究室が移ってくる。2つ上の先輩はわざわざ他大に足を運んでいたが研究室の移動により自分の所属していた大学でその先輩の実験が完結するようになる。私はその実験を引き継ぎ、研究室の引っ越しにおいては主に試薬部分を手伝う。

 

2年目: 大学院からそちらの研究室に籍を移した。先生が授業をするところを見て、この授業を見ていたらここに移らなかったと思う。いろんなところに出入りするのが好きだったので、自分の研究室以外でも実験をする。

 

3年目: 5年一貫のコースに通っていたので就活は行わない。いろんなことを詰め込んだ結果、普通に博士課程に進学する人に比べて実験量が少ない。

 

4年目: その分野の基礎からやりたいと思い留学する。本当は修士のときから行きたかったが他にもいろいろやりたいことがあったため、博士に進学してすぐ行った。博士課程なのに修士の学生みたいだと言われていた。

 

5年目: 一旦戻るも研究費を得てアメリカに戻る。戻ると周りが自分の話をし出したように感じて、ああ最初はお客さんだったのだなと思った。春になったら戻らないといけなかったため、雪よなくならないで、まだスノードームのように美しいこの街に私をとどめていてと思う。日本に戻る日が怖かった。

 

6年目: 研究が長くなるから学位を取ってからアメリカに戻れと言われてそうする。実験しないと実験しないとと思っていて、他に楽しいことがあるのではと思っていた。ただ自分は足りないと思っていた。5年一貫のコースは卒業する。

 

7年目: アメリカ人に昨日何した、楽しめよと聞かれることなく、好きなだけ実験できるのもよいものだと思う。体調はよくなかったが、後輩は、戻ってきてくれてよかったと言ってくれて、穏やかな日々だった。学位も取得する。

 

8年目: コロナでアメリカで住んでいた家には人がいなくなっていると聞く。学会で会った人のところで働き出す。横の研究室の先生が教えてくれて、大学に博士特別研究生という学生証を2年分もらう。

 

9年目: 学生証をもらっているのだけど卒業しているので自分が学生にガンガンやれと言い出す。自分では気が付かなかったが、友達や他の卒業生に当たりが強くなったと言われる。大人しくしておかないとと思うけれど、存分にやってほしい。

 

10年目: 寄附講座の期間を終えまた研究室の引っ越しを行う。今回は主に書類部分を手伝う。客員教授だった先生たちは次は特任教授だそうだ。学生に話しかけられると卒業したのに顔を見せる幽霊みたいな私が視えるのと驚く。帰省どうでしたかとか聞いてきてくれる。帰省に関心があるというより何か話したいと思ってくれていたらしくありがたく思う。

 

11年目: 前の大学ではあと2年授業を続けるが、新しい大学では授業を行わないということで先生が授業をする場を探す。半年に15回授業をしないとアウトプットができなくて爆発すると言うのだ。何人かの卒業生とは連絡を取り合い続けている。

 

10年もいると何々さんもそうだったとか、それは何々さんのようだとか思うようになった。先生とそういう話をする。研究室には留学先も就職先も見つけてもらっている。人間関係もそこで築かれている。いつの間にかそれが財産になっていた。そんなこと思いもよらなかった。私が全員を知っているので卒業生が私が行くのであればと一緒に研究室の新年会などに顔を出してくれることがある。ああこの人がいるときはあの人と仲良くしていて、それはこの人がみんなの仲を良くしてくれていたからなんだと今になって気が付くこともある。私は今元気なので、かっこよくあらねばならない。

行為そのものが楽しいということ

3月に一番見られたツイートはこれだった。

 

『僕は君たちを支配する』の1巻を読んだ。閉鎖空間でも、学校、社会でのヒエラルキーが引きずられている。

 

3月は12日間バンコクシンガポール横断の旅行に行ったり、青春18切符を使ったり、大学で卒業式や引っ越しがあったりで過ぎるのが早かった。RPAも初めて使った。Pythonでできるまでの繋ぎで手入力を頼まれたが、やっていられなくてRPAを使ったら、それがそのまま使われることになった。Power Automateは無料で十分RPAが使えるのですごい。ChatGPTもすごい。

 

社会学者の古市さんは小学生のときに学級新聞を作って情報操作をしていたと言う。すごい人は子どもの頃からその片鱗を見せているものだと思う。私はと言うと社宅の友達、クラスの友達、部活の友達といろんなところに違うタイプの友達がいて、大学や会社に入っても同じようなことをしているなと思う。いろんなところに顔を出してそこにいる。それくらいで、もっといいエピソードがあればいいのにと思うが、今の私が何かをしたら、そう言えばあのときもそうだったと、過去のエピソードが今に繋がってくるのかもしれない。

 

私は実験の手がいい。アメリカの研究室の先生がそう言っていた。再現性よく実験できるんだけどなと思うけど、会社では実験はしていない。方法をきちっと決めるところだけは使われていると思う。今はGASやRPAやVBAを触ることが多い。やったことないよと言うのだけどできると言われて調べながらやるとできる。私より私ができることを分かっていて、できるって書いてあるよと言うなら自分でやればいいのにと思うのだけど自分ではできないということで私がやる。中学のときの技術や大学のときのプログラミングの成績がよかっただけあり、それなりにでき楽しいとも思う。調べればできるということを博士課程で経験していて、実際に調べれば辿り着ける。私よりできる人はたくさんいるだろうけど、もっとやってみようかなと思っている。ただそれの人になるとは思っていなくてということを大学生に言ったら、やりたいと思ったことはそのときそのときでブームがあっても続けた方がいいですと言われた。私は他のやりたいと思ったことも続けようと思ったし、これもやってみようと思った。私は世界がよくなることには興味があったけど、自分がよくなることには興味がないというか、そういうものは走っていたら気付いたときにはよくなっていることがあるというものだと思っていた。でもその大学生はよりよい自分になっていきたいらしくて、私はそれをいいなと思ったし、ゲームのようで楽しそうだなと思ったし、自分もそういうことをやってもいいのだと思った。自分をよくしたいと思っていいし、それを楽しんでいいのだ。というわけで頑張ることを一つに絞れてなくても今は、頑張っているという状態が楽しい。頑張っているなんて言うものじゃないと思っていたので、そういう風に考えたことがなかった。行為そのものが楽しいということがありえたのだ。できることが増えているので、楽しいとか言っていないで急いでねって自分に思うけど、どっちにせよガンガンやってほしい。そうした方が今はやりやすいと言うならそれでやってみたらいいと思う。旅行というより移動が好きで、着かなくていいと思うくらいでと言ったら、いいじゃないですかと言われた。これも一つの「行為そのものが楽しい」なのかな。知らないことを知ったときがもっとも楽しいので、「行為そのものが楽しい」には同意しにくいところもあるけど、そうしているときの方が自分のことを好きでいられるとかいうことでスタンスを選んでもいいのかもなと思う。大学生はいつも新しい風を吹き込んでくれるからいい。

銭湯のこんなところを見ている。

100か所以上の銭湯に行った振り返りと、銭湯の好きなところの列挙を同時にするつもりだったが、前回、振り返りだけで1000字以上書いたので回を分けて、今回は好きなところの列挙をする。

 

東京は銭湯のサイトが充実している。東京を出ると一気にどんな銭湯かネットでは分からなくなる。そんな中HPがある銭湯はいい。東京でもHPがあるところはやる気があっていいなと思う。銭湯の検索ではいろんなキーワードで絞り込みができる。私にとって重要なのは水風呂があることだ。これが一番大事。普通のお風呂と水風呂を交互に入る。普通のお風呂だけだと家のお風呂と同じですぐ出る。冷たい方が好まれるようだが、私はぬるい水風呂の方が好き。普通のお風呂にしてもぬるいのがいい。次にいいのが露天風呂。外気浴もでき長く入れる。露天風呂の方が見た目でテンションが上がるが、長く入れるという点では炭酸湯もいい。炭酸湯はぬるい。炭酸湯があるような銭湯は水風呂も用意してくれている。薬湯もテンションが上がる。浸かりながら今日の薬湯の説明書きを読む。この前行ったところはユーグレナの入浴剤だった。温泉もありがたい。温泉の成分を感じるわけではないが温泉なんだなと思って入る。銭湯の料金でサウナに入れるときはサウナにも入る。大田区にはスチームサウナがあり、別料金を取らない。あとはネットで調べて金魚がいるとか、花が活けてあるとかあると楽しみにするし、写真でよさそうだなとか判断する。変わっているのも好き。マンションの1階が銭湯になっているとか。ケロリンの桶があるとか、レトロな体重計があるとかいうことが好きな人もいるようだが、以上が行く前に調べること。どこに行くかの決め手にはならないが、ボディーソープとシャンプーがあるかも調べる。あると書いてあるサイトとないと書いてあるサイトの両方がある場合もあるので気を付けて調べる。なければ持っていく。

 

行ってからのポイントはまずロッカー。コイン式じゃないといいね。銭湯には杖のロッカーがあるところもある。体重計には入浴前後に入る。出てくると少しだけ軽くなっている。入り口に水飲み機があると嬉しい。あまりないがあると途中で飲みに来る。入ってからはまずいくつのお湯があるかを見る。ジェットにはよく分からないで当たっている。だけど座風呂は好き。座りながらジェットに当たる。泡風呂は気持ちを楽しませるだけだと思っていたが意外と気持ちよくないかと思っている。炭酸湯なら炭酸の強さを見る。体に泡が着いていく様を見るのだ。みんなフルーツポンチの具になったかのように浸かっている。あそこ人がやたらいるなと思う湯があればそこは炭酸湯だ。あつ湯は一応入るだけ。電気風呂はリズムがあるものが好き。たまに入れないくらい強いものもある。一度新大久保の銭湯で外国人が電気風呂のところでびっくりしていた。銭湯に英語表記はない。スーパー銭湯はまたジャンルが違うが、スーパー銭湯だと寝湯がある。どんなお風呂も2周するのだけど、2周目は寝がち。あとはプールがあったり、雲梯があったり、肩にお湯が落ちてくるものがあったりしてそれらを楽しむ。シャワーは固定か持てるものか。固定なら角度は変えられるのか。お湯の温度は変えられるか。押したらお湯が出るタイプだった場合、一回に出る長さはどれくらいか。短すぎるとやだね。節水を呼び掛けているところもある。洗い流すとき以外は出さないようにと書いてある。どの銭湯にも常連さんがいるので気を遣う。浸かってから見るのは客層だ。話していることを聞く。なかなか強烈だ。出た後で見るのはドライヤーくらい。無料のときだけ使う。お釜ドライヤーがあるところもある。持ち込みだとより料金が高いと思う。綿棒はたまにあって、コットンはなかなかない。ヘアアイロンの有料貸出があるところもある。

 

100か所以上行ったので、まずシャンプーだけどという風に各点に対して話したいことがあり、それは文字にするといつもの目安の1000字には全然収まらないということが分かった。これまでの文章の見どころは文字量だけだ。スーパー銭湯編なんか入らない。地方編も入らない。だからまとめに入るけど、各銭湯には雰囲気がある。ここ好きだなと思うときどうして好きか考える。私だったらどんな銭湯にしたいか考える。図書館も同じ。清潔とかいうことではなく、いい銭湯って店主がいいんじゃないかなと思う。気が配られていることを感じるのではないか。結局具体的条件は分かっていない。だからいろんなところに行き続けるのかな。銭湯って面白いよ。

銭湯と私の歴史

100か所以上の銭湯に行ったので振り返りたい。

 

最初に銭湯に行ったのはいつだったかはっきりしないが、地図上で見て東京には意外とたくさんあるということが気になっていた。それで市の銭湯を調べてみると私のいる市に銭湯が一軒しかないがそこは木の浴槽だと分かり自転車で行ってみた。お風呂がひとつあるだけなので洗って入ったら何をしたらいいか分からない。銭湯に来たのだからお風呂に入るのだろうと思って長く入っていたらふらふらになった。脱衣所を番台さんが見ているタイプだったのでふらふらなんとか着替えて外に出て、銭湯の前でしゃがみ込んだ。銭湯の何がいいのか分からなかった。分からなかったけど、思ったよりたくさんの銭湯がある。あるということは好きな人がいる。好きな人がいるのに私にその好きが分からないのは悔しいということで、めげずに隣の市の銭湯に行った。そこは高校野球好きの店主がTwitterをやっている銭湯で、露天岩風呂があった。それがよかったのだと思う。いろんな銭湯があるんだと気付いた。大学の先生が、最初に失敗したことの方が続くと言ったけど、そうかもなと思う。リベンジに成功してハマってしまった。近くにいくつかあると、水風呂があること、露天風呂があることを優先するけど、今ではひとつしかお風呂がないところでも行く。そこを味わうことができる。

 

-20℃の冬のシカゴから戻ってきたとき私の体は子宮内膜症になっていてホルモン剤に慣れるまでボロボロだった。一か月の内一週間は寝ていたし、駅までは行けそうだけどそこから戻ってこられるかが分からないという状態だった。急にバッテリー切れを起こしていた。体が強制的に私を眠らせにかかるのだ。そんな状態のとき銭湯は私の半分になってしまった体を徐々にひとつに戻してくれた。日本に銭湯があってよかった。シカゴに戻るときは銭湯を持っていきたい。アメリカ人は銭湯なしでどうしているんだと思った。満ち満ちて今では体がひとつ分よりはみ出るくらいで、銭湯で満タンにされると力があり余る。ありがとう銭湯。

 

銭湯の回数券をもらったこともあった。銭湯の回数券はモノポリーの券のようで非常に可愛い。これを一枚持っていれば、お風呂に入る前にお財布を出すという行為をしなくていい。銭湯にはまだまだキャッシュレス決済ができるところが少ない。回数券は誕生日プレゼントとして郵便で送られてきた。今までで一番いいプレゼントだと思った。この薄い封筒の中にこんなものが入るなんてすごい。封筒ってなんて可能性を秘めているんだろう。銭湯の回数券は、毎年6月1日に発売され、使用期限は翌年の6月30日だ。私の誕生日は5月なので毎週銭湯に行った。同じ銭湯には行かないのでたくさん歩いた。もう一度もらったのだが、そのときはもう少し余裕があり、どこかに出かけた際に近くに銭湯があれば行くという感じで使った。私が銭湯を知ったときは470円だった東京都の入浴料金も、一昨年480円に。このときはちょっとした変更だと思ったが昨年には500円になった。大台に乗った。回数券は9回分の料金で10回入れる価格になっている。

 

次回に続く。

バンコクからシンガポールを縦断して考えたこと

バンコクからシンガポールを縦断した。

・3月末までに有休を消化するためにある程度長く行きたかった。
・東南アジア好きだがタイ・ラオスベトナムカンボジアは行ったことがあり、シンガポールに行くならマレーシアとセットにしたかった。
深夜特急を読んだことがある。

ということで縦断した。時系列に沿って振り返りたい。

 

<タイ>

18時間列車に乗るために、わざわざホーチミンで乗り換えてバンコクに行った。そのためバンコクでは、クルンテープ・アピワット中央駅近くの公園と市場にしか行っていない。公園にはバンコク蝶の庭と昆虫館があった。

バンコクは車が多かったので公園はよかった。年末に行った釜山・慶州でも、遺跡の野原をただ歩いたのがよかったが、それと同じだ。公園にはミズオオトカゲがいた。変な木片かと思ったらミズオオトカゲだった。あれっていていいの、ペットなのと思った。あんなのが足に乗ってきたらびっくりするのに歩いているとドボンという音がある。あいつの方が逃げて池に入って泳ぐのだ。あいつはシンガポールにもいた。

クルンテープ・アピワット中央駅ではちょうどコスプレ大会をしていた。日本語の歌も流れて踊っていた。男の人がスカートを履いていたり、痩せた人太った人も好きな格好をしていたりした。どうしてタイがそんな感じなのかは分からないが嬉しかった。

 

寝台列車

どうして忘れていたのだろう。進行方向を向いて窓際の席から外を眺めているとき、ずっと着かなくていいと思う。この幸せは私の人生におけるかなり上位にある。寝台列車はインド振りだったが今は世界中の寝台列車が気になっている。景色を見るのではなく寝るのでもいいのだ。

 

<越境>

国境を越えたとき、越えられるんかいと思った。世界から難しいことがなくなってしまったようで不満だった。もう私はどこにでも行けるし住めると思った。私は難しいことが好きだ、仕事も難しい方がいいのかなと思って友達にLINEした。彼女は簡単な方がいいと言った。でも難しいと余計なことを考えなくて済むよ、楽しいことだけだったら途切れる瞬間はあるからと言ったら、そういうこともあるかもねと言われた。

 

<マレーシア>

マレーシアでは5泊した。マレーシアにはイスラム教も仏教もヒンドゥー教キリスト教もあった。なんて私は楽しそうにするんだろうと思った。東南アジアを旅行するのが本当に好きなんだな。生き生きしていた。私がこんなに好奇心で動くのであれば、そういうことを周りにたくさん配置して、私が動くようにしたいなと思った。

enjoyということについても考えた。アメリカで実験していたとき、よくenjoyと言われた。enjoyしないといけないと。あれって命令、強制だったのではないかと思った。使われる頻度的に頑張れの英語版だとは思っていた。どうしたら楽しめるかを考える。Take it easyではない。Take it easyだとしても考え抜かれたtake it easy。最大限の力を発揮するためのtake it easyであり、enjoy。欧米人はすごいものだと思った。

 

どこの国に行っても映画を観るが、ここでは『Vaathi』を観た。授業料無料の公立の学校の先生が、私立の学校の人に「No money, no education.」と言われる。私立の学校にとっては無料でそんなにいい教育が行われては困るのだ。でも先生は授業をすることを諦めなかった。私は分かりやすいストーリーっていいなと思った。本当は法律や経済などにも言及する必要がある。そこが語られない話はダメだ。そう思ってまた友達にLINEをした。アンパンマンばいきんまんを完全にはやっつけないし、マリオが倒すクッパも次のゲームで登場する。そんなに簡単なストーリーはないということになった。だけど分かりやすいストーリーを持っていたら動きやすい気がする。まっすぐでいいなと思った。

カンボジアでは幸せになればいいと思った。この池の景色を見られたらとりあえず幸せではないかと思った。しかしベトナムでは資本主義は止まらないと思った。そしてここマレーシアでは仕事は難しい方がいいとか、分かりやすいストーリーがある方がいいとか、没入して余計なことを考えないということ、そのための環境づくりに関心が行っていた。

 

シンガポール

マレー系、中華系、インド系がいるのはマレーシアと同じだが、シンガポールでは中華系、マレー系、インド系の順番に多い。レストランで周りを見るとひとつひとつの集まりの中で人種は混じっていない。お互いに分かり合えないと知っていながら社会の中で共にいる。人種の坩堝ではなく人種のサラダボウルなんだなと思った。

シンガポールは大統領が作ったレゴの街みたいだった。面積と人口が小さいので考えやすい。ここに埋立地を作ろうとか大統領が思ったんだろうな、私が大統領だったらどうしようと思った。自然にこうなったみたいな家がない。大統領によって作られている。怖さも感じるが綺麗で、ありなのかと思いもする。

シンガポールでは父の友達に会った。2日間本当によくしてもらった。24時間の運転手が付いていて、私は、え、運転手さんにこの人このお店好きだなとか思われたくないんだけどとか、この車1 mm縮めたらいくら安くなる、運転手さんには快適に過ごしてもらいたいけど私の前のここの空間は縮められるとか、そんなことを考えていた。レゴの街に次ぐのけぞり事項だった。

それまで考えていたことはすべて父の友達にぶつけた。父の友達はなんでも答えた。それは目的によるとか言っていた。「自発性と内発性があると宮台真司が言う。対だと思っていたけどその2つだけではないのでは」と言ったときは、それはその人の考え方だと言われた。「カンボジアでこう考えて、ベトナムでこう思って、タイではこうで、マレーシアではこう、そしてシンガポールで今こういう状態で分からないまま帰らないといけない」と言ったら、それでいいじゃんと言ってた。「私はもっと苦しもうと思った。つまりマレーシアで人生を最大限楽しむということについて考えていたのだけど、国境を簡単に越えられたことを不満に思ったように、私にとっては苦しいことが楽しい」と言ったときは、どうしてと言われた。私がいろんなところに行きたい、いろんな人に会いたいと思っているとして、それはどうしてか、人と話しているときなんかに考えて、それで残るものが大事だとか。そして中村天風の本をもらった。答えてもらったことはここに書いてあるらしい。プラナカンタイルももらった。だから大丈夫だ。今は人生を最大限楽しもうとするのか、そのために苦しむのか、苦しみたいのか、ぼやっとしている。分かったことは、難しいことは減ったかもしれないけど、知らないことはたくさんあったということ。それが嬉しいということ。私にはもがいて走ってほしい。走りたい。

バンコクからシンガポールまで縦断した。

バンコクからシンガポールまで縦断するにあたってネットの情報にお世話になったので私も最新版として情報を共有しておこうと思う。要点だけをまとめたものになっていないが実用的だと思う。泊ったのはバンコクペナン島、クアラルンプール、マラッカ、シンガポールである。

 

<航空券について>

行ったのは2023年の3月。バンコクからシンガポールか、シンガポールからバンコクかでは、シンガポールからの方が、航空券が5000円安かった。私は物価が安くなっていく方に移動して行く方がいいと考えていたのだが、バンコクからの方が安いのかと間違えて、そちらからにしてしまった。最終的に航空券を取るときに間違いに気付いたが、もうバンコクから行く頭になっていたのでそうした。沢木耕太郎の『深夜特急』の影響か、ネットに情報を載せてくれている人たちもバンコクからシンガポールに向かっていた。なので考えやすいのはバンコクからシンガポールシンガポールからバンコクに向かっていたら見え方も違ったと思う。そちらの旅行記も読んでみたい。

 

ベトジェットは座席が固く、寝ているとお尻の骨が刺さる。ホーチミン乗り換えでホーチミンまでは座席が固くなくてそういう機体もあるのかと思ったが、ホーチミンからは固かった。持ってきていたプチプチを一枚敷いてみたら、いい気がした。ベトジェットのときはまた持っていく。

 

バンコクからパダンベサールについて>

バンコクの中央駅は今、ややこしいことになっている。私がアユタヤに行ったときはフアランポーン駅からだったが、今はクルンテープ・アピワット駅が出発駅だ。しかしクルンテープ・アピワット駅は元々バンスー駅で、駅に行ってみても表記はバンスー駅のままなのだ。ちなみに予約するときはクルンテープ・アピワット駅。この駅に行ってみて、自分の乗る列車が何時に何番ホームに来ると書いてあるのを見るまでは本当にここでいいのか安心できなかった。

 

バンコクからマレーシアのパダンベサールへの列車は一日一本しかない。チケットはタイ国鉄のホームページから買える。私の楽天カードは3回やっても受け付けられなかった。セディナカードで購入した。

https://dticket.railway.co.th/DTicketPublicWeb/home/Home

メールで来たチケットのPDFを印刷して持っていったら列車の中で車掌さんが切符を拝見してその紙に改札鋏で穴を開けた。ワオ。

この列車の席は取っておかないとなくなるらしい。そんなことあると思ったが確かに寝る前には周りの席は埋まっていた。ちなみに私が乗ったのは日曜日で、席を取ったのは3日だった。列車は進行方向に向かってどちら側かを選べるらしい。画面上で、席を予約したのが女性、男性、女性/男性、僧侶かということが分かるようになっているので、私はそれに気を取られて進行方向のことは忘れていた。2段ベッドの上下もあるし、コンセントの近くかどうかもある。右も左も一人ずつなので、窓側・通路側というのはない。私が取っていたのは進行方向とは逆側だったが、みんな始発駅のクルンテープ・アピワットからは乗ってこなかったし、終着駅のパダンベサールまでも乗っていなかったので、私は進行方向を向いて、空いている席に座った。

ベッドは上の方が安い。下の方が広いし、窓がある。しかし私はインドに行ったときに3段ベッドを経験していた。3段目は好きなだけ寝られたが、2段目は1段目を椅子にするために折り畳まれ、1段目は2,3段目の起きた人が座るために降りてくるので、寝ていられなかった。あのとき3段目でよかったと思ったので、私は上にしたいと思った。どうせ夜なので外は真っ暗で見えないのではと思ったが、夜トイレに行ったときに外が見えて、わー見てたいと思ったが、揺られていると眠くなるのでずっと寝ていて、やはり上でよかったと思った。タオルケットはあり、Tシャツの上に一枚、ウィンドブレーカーを着て寝た。下は人が通るので、そういう面でも上はいいんじゃないかな。朝、人の気配がなくなりカーテンを開けて外を見たら、列車からほとんど人がいなくなっていて、寝具が片付けられて一か所に集められていたので起きた。パダンベサールの一つ前の駅だった。

ダンベサールはパダンベサール(タイ)とパダンベサール(マレーシア)の2つの駅がある。途中でそう言えば飛行機の着く時間は現地時間で書かれているけど、列車の着く時間はどっちなんだろうと思った。答えはタイ時間で現地時間ではなかった。タイだと日本との時差が2時間、マレーシアだと1時間だ。なのでそのあとの列車の時間も調べていたのだけど、そうか、最初のにはどうせ乗れなかったんだなと思った。列車の中でパスポートを見える気がしていたのだが列車を降りてイミグレに行った。マレーシア側で降りる。マレーシアを出る手続き、タイを出る手続きをする。

 

<パダンベサールからバタワースについて>

ここの区間はマレー鉄道のHPに時刻表はあったが、チケット購入のページには出てこなかった。現地のバタワースでチケットを購入しようとしたところ、窓口は閉まっており、どうするのかなと思ったら、マレーシアの人が券売機の方に行くのを見て分かった。券売機は2台あり、もう1台の前に立つとそのマレーシアの人がちょっと待っててと言って、自分の分を買った後、私の分を買ってくれた。券売機の画面の入り口は2つで、早い方がいいよねと言ってその人は一方の入り口を選んだがバタワースがなくもう一方の入り口に入った。私が乗りたかったものにはチケットの事前購入はなかったのだと思う。普通の電車だった。チケットはクレジットカードで使えた。買うと買った時刻のみが表示されていた。ゲートの前に係の人がいて出発時刻を教えてくれた。またネットにはパダンベサールでコーヒーなどをバーツで買っておつりでリンギットを手に入れておくようにと書いてあったが、食堂の人がどこにも書いていないが両替をしてくれた。他の人がしていて分かった。

 

<バタワースからペナン島ペナン島からバタワースについて>

バタワースのバスターミナルにもATMはあった。ATMはあちらと矢印が書いてあったがどこにあるか分からず聞いたら奥にあった。

ペナン島に行くにはフェリーで1.2リンギット払わないといけない。そのために列ができていてフェリーは待ってはくれない。私の前にいた欧米人は1リンギット札がなくて大きいお札は受け付けてもらえていなかった。1リンギット札を余計に持っていたらあげたかったが私も2枚持っているだけだった。他の欧米人旅行者が両替をしてあげていた。クレジットカードもダメ。そんなこんなでこの支払いに時間がかかる。バタワースにATMはあったがパダンベサールで1リンギット札を手に入れておくといい。帰りのフェリーは無料なのだが、無料ということより列に並ばなくていいことが嬉しかった。フェリーの待合所で蒸しパンを食べた。

 

<バタワースからクアラルンプールについて>

電車もあるのだが結構前から席を取っておく必要がある。私は安いバスにした。

バスのチケットはネットからでもバスターミナルにある券売機でも買える。窓口もあった。私は券売機で安っと思いながら2列と1列の1列の方を買った。券売機だと支払いが現金になる。バスは足を乗せるやつあるし顔を右と左に預けるやつあるし快適。ネットには何社がいいとかあったが、ふらっと行ってその時間に一番すぐ来る安いやつでそれだったので、どれもいいんじゃないと思う。

掲示板でバスは「時間通り」となっていてこのバスでよかったと思ったが、時間になった瞬間「遅れ」に変わった。時間になるまではどのバスも「時間通り」なのだ。他のバスに抜かれることはなく15分後くらいに来た。

バスの乗り場はチケットに書いてあるものと違った。掲示板を見て係の人に一応確認した。

 

<クアラルンプールからマラッカについて>

電車はマラッカから遠いところに着くらしいのでバスがいいと思う。私はバスにした。

バタワースからのバスはKLセントラルに着いたが、マラッカ行きバスが出ているのはKLセントラルではなくTerminal Bersepadu Selatan。Terminal Bersepadu Selatan と言うとTBSかと言われた。

バトゥーケイブに行った際にKTMコミューターに乗った。往復で買うと安かったので得したと思っていたら、改札機を出てもカードが手元にあって、行きにはこれのデポジットが含まれていたのだと気付いた。Terminal Bersepadu SelatanへはMasjid JamekからLRTに乗ったが、KTMコミューターの駅でもあるので移動してこのデポジットを返してもらおうと思ったが、返金はKLセントラルでしか行っていないらしい。なお私が行ったときLRTは一部の区間でバスでの振替輸送をしていた。Masjid JamekからTerminal Bersepadu Selatanには関係がなかった。

チケットの買い方はバタワースからクアラルンプールと同様だ。ふらっと行って買える。

 

<マラッカセントラルから旧市街地、旧市街地からマラッカセントラルについて>

旧市街地まではバスが出ている。17番バスだ。聞いた。本数が少なくWi-Fiがないのであなたも待ってますかと周りに確認して待った。ちゃんと来た。タクシーで行く人が多い。オランダ広場に着くとバスの運転手が降りないのかと言って降りた。そこにバス停はなかった。帰りもこのバスに乗るつもりだったが、シンガポールでお昼に人に会うことになり始発のシンガポール行きバスに乗るために帰りは30分歩いた。マレー半島は日中は暑いので、朝や夕方は気持ちがいい。

 

<マラッカからシンガポールについて>

始発のバスでシンガポールへ。チケットの買い方はずっと一緒。バスのチケットは何分前までしか買えないとかあるのかなと思ったが券売機でも直前に買えた。国境の町ジョホールで大勢が降りたのでイミグレか、私も降りるのかと思ったが、そこはイミグレの手前だった。乗ってきたバスが出たので待ってくれと言って再度乗せてもらった。同じ乗客の中華系の人がその後、この先の手順を教えてくれた。

マレーシアから出る手続きをした後、シンガポールに入る手続きをしようと思った。しかしここで入る手続きをするとまたマレーシアだからと思って人の流れに従い、下に降りた。私が乗ってきたこのバスいますかと人に聞いた。バスはまっすぐ進んだところにいた。分かりやすいところだからよかったが、ホームは2つあったのでちゃんと戻ってきたからよかったけどと思った。ここから乗る人は多かった。バスが動き出し、シンガポールに入る手続きをしていないけど進むぞ、手続きをしないで入っちゃったのかと思ったら、着いて、シンガポールに入る手続きした。マレーシアでもシンガポールでもない区間は長かったのだ。日本のパスポートだとピッとするだけで入れた。入れない人たちは列に並んでいた。バスの運転手には30分以内に戻ってこいと言われていた。すぐ戻って先に座っていたら運転手は驚いていた。ここからの乗客は私一人で、一人のためにシンガポールに行くぞと言われ、おーと言った。シンガポールにはアライバルカードというのがある。私はこれができていなかったのだがそれは使わなかった。

アライバルカードはシンガポールに入ってからメールに届いた。いらないけどと思ったがカジノにはこれがないと入れなかった。シンガポールは入国も出国もスムーズだ。手荷物検査は搭乗ゲートの前にある。そのため空港で並ぶ必要もない。水は手荷物検査をした後の待合所で入れられた。なのでシンガポールよりカジノの方が国に入った感じはした。

シンガポールに着いてすぐ、中華街に向かうために電車の窓口でEZ-Linkを購入した。このカードは電車でもバスでも使える。乗り換えがなかったのでバスに乗った。ピッとしても残高が分からないタイプのカードだった。EZ-Linkはそうらしい。こちらはデポジットではなく返金不可のカード代がかかった。最後に電車に乗って着いた空港で残高を引き出そうとしたがこのカードの場合はできないと言われた。

 

 

まとめ

バンコクからシンガポールへどう移動するのか調べるのが面倒で大体これくらいの移動時間で行けて各場所に大体これくらいいたいからと思って航空券を取った。そして直前に調べた。それで大丈夫だった。クルンテープ・アピワットからパダンベサールへの寝台列車さえ取っていれば大丈夫。国境も簡単に越えられてしまって、越えられるんかいと思った。世界から難しいことがなくなってしまったようで不満だったくらいだ。今は世界中の寝台列車に興味がある。『深夜特急』を読んだことがある人は、しよう、バンコクシンガポール縦断。香港、マカオも行きたいなあ。