西洋・東洋と一枚の絵

8月に一番見られたツイートはこれだった。

中田考の『私はなぜイスラーム教徒になったのか』を読んだ。イスラームは心の救いを目的にしていない。アッラーに従うこと、クルアーンハディースに従って生きることが全て。タクシーに定価があると思うなよなどは痛快。西洋の枠組みをもっと認識したいので引き続き読む。

 

7月に読むと宣言していた同じ先生の本だ。西洋の枠組みに関しては古市憲寿さんの『古市くん、社会学を学び直しなさい!!』にも出てきた。橋爪大三郎さんが言うのだ、「社会学キリスト教社会は似ているから、社会学キリスト教をきれいに分析できるのは当たり前なんです。だから、そもそもが概念が違うインド社会や中国社会、日本の社会をきれいに分析できて、初めて社会学は自立できると思ったわけ。そうすると、ヨーロッパ系の社会学が作った基本語彙は、ヨーロッパとかいうローカルな文化に汚染されているから、普遍的認識の道具として使うには不十分なのです」と。2016年の本で、古市さんの「何年ぐらいかかりそうなんですか」に「三十年ぐらいかかるかもしれない」と答えている。


これは私が科学に対して思ったことで、言葉が違うのだとしたら、私はインドや中国、日本にある東洋の科学を認識することができないかもしれない。三十年かかる覚悟はできていなかったけど、私も東洋の言葉で説明することに興味がある。


他に8月に考えていたのは参加型デザインやリビングラボと呼ぶらしいものについて。私はアンケートに答えるのが好きだ。世界を私好みにする行為だと思っている。モニターや被検者もしてフィードバックする。参加型で研究開発をしたら、私が年をとっても研究に関われていいし、祖父母の元にこれどうだったって意見を聞きに来る人がいるのもいいと思う。未来食堂の小林せかいさんが心に焼き付く一枚の絵からアイデアの実現を考えていくと言っており、これは練りたいもののひとつ。縁側のある家で子どもが走り回っていて、大人と子どもがそれぞれテーマを持って自由に研究をしている絵も練りたいものの1つ。話を聞いてくれる人がいると広がっていくので誰かと一緒にできるといいなと思っている。