ジブリゆかりの地との出会い

持ち回りで多摩地区について調べている。自分の2回目の番がやってきたときジブリについて話したのでここにも書いておく。

 

訪れた順に言うと最初は『耳をすませば』の聖蹟桜ヶ丘だった。地図まで用意されていて、歩いて舞台を回ることができる。私の前には猫のムーンは現れなかった。

 

東京にはこげなところがあるったいと思い調べて次は『海がきこえる』の吉祥寺に行った。スタジオジブリは1985年から1992年まで吉祥寺にあったらしい。映画を見たことがなかったのでネットの画像と同じであるということを確認しただけだった。

 

次に『千と千尋の神隠し』の江戸東京たてもの園(小金井)に行った。湯屋や蛙の石像などもあるが、釜じいの薬箱にテンションが上がった。道後温泉本館目黒雅叙園もせんちひの舞台らしいが、違う空間に入ったみたいという点ではたまたま似ているだけの九份の方がよかった。

 

借りぐらしのアリエッティ』ははけの小路(小金井)だ。本当にアリエッティが流れてきそうだった。イギリスの小説『床下の小人たち』を小金井に持ってくるのだからすごいと思った。

 

平成狸合戦ぽんぽこ』の多摩ニュータウンにも行った。ここがと思った。建物は建て替わっていたりするのだろうが、大きな集合住宅が並んでいる。私はこの中の1人になってしまうことが嫌だが、公園も用意されていて、大勢で住むことにもメリットがあるのだろう。

 

スタジオジブリ第1スタジオ、スタジオジブリ第2スタジオ、ジブリの保育園である3匹のくまの家(3つとも小金井)にも行った。そのとき24時間やっている本屋さんを見つけ、よく行くようになった。ジブリの前だったので、ジブリの人が私を映画に出さないかなと思いながら本を読んでいた。

 

狭山丘陵にも行った。トトロの森だとは思わなかったけど、山を抜けたらすぐ町があるということに驚いた。のび太くんがよく行く裏山って昔はもっとあったのだろう。今だって他の国に比べたらたくさんある。緑豊かな国ってこういうことかと思った。

 

多摩湖では大多羅法師の像を見つけた。湖の水を見守っていると書いてあったので、宮崎駿はこの像を見て『もののけ姫』を描いたかなと思った。

 

ハンセン病資料館は秋津のすぐ近くにある。宮崎駿はこの近くに住んでいて、小金井のスタジオジブリに通っている。ハンセン病資料館が先ではなく、偉人ではなく普通の人たちの時代劇を描こうとしたらハンセン病患者についても描かないといけないけどどうしたらと思っていたら、散歩していたときに資料館に行き当たりそのとき初めて入ったのだと。

 

その足で清瀬市郷土博物館に行ったら「結核療養と清瀬」という展示をやっており『風立ちぬ』を思い出した。

 

地図で八国山緑地(東村山)を見つけてトトロの七国山じゃんと思い行った。結核の病院として有名だったという病院もあり、結核は『風立ちぬ』だけではなく『となりのトトロ』もだと気付く。

 

所沢航空発祥記念館』に行ったら、そこには人類が飛ぶことを夢見た歴史があった。『風立ちぬ』だけじゃない。『未来少年コナン』も『天空の城ラピュタ』も『魔女の宅急便』も『紅の豚』も『風の谷のナウシカ』も飛ぶじゃないか。宮崎駿も夢を見ているのだと思った。

 

秋津の淵の森緑地にも行った。宮崎駿が『となりのトトロ』の構想を練ったところで、宮崎駿はここがあるからこの近くに住んでいると言っている。壁には「淵の森」ニュースが貼ってあり会長は宮崎駿と書いてあった。マンションを建てたい人に対して、戦うには相手が悪いと思ったが、石碑は1996年でクラウドファンディングのニュースが出たのが今年の6月3日なので長く戦っているようだ。

 

新秋津駅にはサントアンというパン屋さんがありシベリアを売っている。シベリアは『風立ちぬ』の中で印象的だが、単に宮崎駿が好きなのかもしれない。

 

武蔵野ふるさと歴史館では「武蔵野の異界」という展示を見た。ダイダラボッチ伝説の話だった。ダイダラボッチ多摩湖だけの話ではなかったようだ。武蔵野では善福寺池ダイダラボッチの1歩目、横河電機のグラウンドが2歩目、井の頭池が3歩目の足跡で、かつて武蔵野市立井之頭小学校にあった八丁大塚はダイダラボッチの足の裏からこぼれた土が積もったものだと言われている。この展示を見て私は、江戸東京たてもの園やはけの小路からファンタジーを生み出す宮崎駿はすごいと思っていたけど、ファンタジーってテレビやネットがなければ思い付くものなのだと思った。すごいのは空に憧れる気持ちの強さ、ハンセン病患者を描きたいと思う気持ちの強さと、絵が描けるしそれを支える人がいるということだと思った。