内発性という概念を知った。

2月に一番見られたツイートはこれだった。

 

『全部ぶっ壊す』の1巻を読んだ。破壊神が人間の生活を学んでいくのは面白い。破壊神マグちゃん、 デビィ・ザ・コルシファ、聖☆おにいさん

 

マグちゃんにはファンが多いんだな。狂乱のナプタークがすごくいいの。

 

私は「人が本について話したらその場で図書館の本を予約する」、「図書館で本を受け取ったらその後スーパーに行く」、「電車に乗ったら本を読む」、「本を読んだらTwitterに書く」が決まっている。自分がその本を読んだかどうかはTwitterで確認する。「青春18きっぷでもとが取れるところには青春18きっぷが使える春、夏、冬に行き、その際には残り4回の青春18きっぷも有効活用する」というのも決まっている。スーパーの商品も「いくらなら買う」、「できるだけ違うものを買う」と決まっている。決まっていることはやりやすい。うまく決められると続けることができる。やる、やらないではなく、そうなっているで済む。これはとても楽だし快適で、そうなっていないものはどうにかして条件設定をしてそうしたいが、それが進むだけではだめみたいだ。宮台真司が「内発性」と言うのだ。大学院生が宮台真司の本を読んでいて最初に読むなら『14歳からの社会学』だと教えてくれた。(彼はそれは読んでないらしく私が感想を言ったら読むと言っていた。)将来の不安に駆られて自発性を持って行動するのもいいが、それで嬉しいのは達成したとき。それに対して内側から湧き出る力である内発性に突き動かされる場合は、行為そのものが喜びだと。ああ今の私には内発性が足りてなかったと思った。それに言葉があると知ってちょっとしたwater状態になった。子どものときは何にでもなれるし何にでも憧れる。大人になってもそれでいいのだけど、自分にはこっちが合っているとか思い出すし、人それぞれだねという感覚が強くなる。なのでああ私には最近内発性がなかったな、取り入れたいなと思った。大学生に聞いてみると影響されてばかりいると言う。いいな。所ジョージは昨日と今日が同じだと嬉しいと言っていた。私は分からないと思って、分かるかもと思って、まだ分からないでいたいという経緯を辿っている。日々の生活に満足することが大事な気がしていたけどもっと望んでいいのだ。足りなさを感じていていいし、足りなさがあるがゆえにありたい姿に近付く過程にワクワクすることができるのだ。足りないと思おう。行為そのものを喜びにしよう。