行為そのものが楽しいということ

3月に一番見られたツイートはこれだった。

 

『僕は君たちを支配する』の1巻を読んだ。閉鎖空間でも、学校、社会でのヒエラルキーが引きずられている。

 

3月は12日間バンコクシンガポール横断の旅行に行ったり、青春18切符を使ったり、大学で卒業式や引っ越しがあったりで過ぎるのが早かった。RPAも初めて使った。Pythonでできるまでの繋ぎで手入力を頼まれたが、やっていられなくてRPAを使ったら、それがそのまま使われることになった。Power Automateは無料で十分RPAが使えるのですごい。ChatGPTもすごい。

 

社会学者の古市さんは小学生のときに学級新聞を作って情報操作をしていたと言う。すごい人は子どもの頃からその片鱗を見せているものだと思う。私はと言うと社宅の友達、クラスの友達、部活の友達といろんなところに違うタイプの友達がいて、大学や会社に入っても同じようなことをしているなと思う。いろんなところに顔を出してそこにいる。それくらいで、もっといいエピソードがあればいいのにと思うが、今の私が何かをしたら、そう言えばあのときもそうだったと、過去のエピソードが今に繋がってくるのかもしれない。

 

私は実験の手がいい。アメリカの研究室の先生がそう言っていた。再現性よく実験できるんだけどなと思うけど、会社では実験はしていない。方法をきちっと決めるところだけは使われていると思う。今はGASやRPAやVBAを触ることが多い。やったことないよと言うのだけどできると言われて調べながらやるとできる。私より私ができることを分かっていて、できるって書いてあるよと言うなら自分でやればいいのにと思うのだけど自分ではできないということで私がやる。中学のときの技術や大学のときのプログラミングの成績がよかっただけあり、それなりにでき楽しいとも思う。調べればできるということを博士課程で経験していて、実際に調べれば辿り着ける。私よりできる人はたくさんいるだろうけど、もっとやってみようかなと思っている。ただそれの人になるとは思っていなくてということを大学生に言ったら、やりたいと思ったことはそのときそのときでブームがあっても続けた方がいいですと言われた。私は他のやりたいと思ったことも続けようと思ったし、これもやってみようと思った。私は世界がよくなることには興味があったけど、自分がよくなることには興味がないというか、そういうものは走っていたら気付いたときにはよくなっていることがあるというものだと思っていた。でもその大学生はよりよい自分になっていきたいらしくて、私はそれをいいなと思ったし、ゲームのようで楽しそうだなと思ったし、自分もそういうことをやってもいいのだと思った。自分をよくしたいと思っていいし、それを楽しんでいいのだ。というわけで頑張ることを一つに絞れてなくても今は、頑張っているという状態が楽しい。頑張っているなんて言うものじゃないと思っていたので、そういう風に考えたことがなかった。行為そのものが楽しいということがありえたのだ。できることが増えているので、楽しいとか言っていないで急いでねって自分に思うけど、どっちにせよガンガンやってほしい。そうした方が今はやりやすいと言うならそれでやってみたらいいと思う。旅行というより移動が好きで、着かなくていいと思うくらいでと言ったら、いいじゃないですかと言われた。これも一つの「行為そのものが楽しい」なのかな。知らないことを知ったときがもっとも楽しいので、「行為そのものが楽しい」には同意しにくいところもあるけど、そうしているときの方が自分のことを好きでいられるとかいうことでスタンスを選んでもいいのかもなと思う。大学生はいつも新しい風を吹き込んでくれるからいい。