所属研究室の10年

所属していた研究室が10周年を迎えたので振り返る。

 

1年目: 他大から研究室が移ってくる。2つ上の先輩はわざわざ他大に足を運んでいたが研究室の移動により自分の所属していた大学でその先輩の実験が完結するようになる。私はその実験を引き継ぎ、研究室の引っ越しにおいては主に試薬部分を手伝う。

 

2年目: 大学院からそちらの研究室に籍を移した。先生が授業をするところを見て、この授業を見ていたらここに移らなかったと思う。いろんなところに出入りするのが好きだったので、自分の研究室以外でも実験をする。

 

3年目: 5年一貫のコースに通っていたので就活は行わない。いろんなことを詰め込んだ結果、普通に博士課程に進学する人に比べて実験量が少ない。

 

4年目: その分野の基礎からやりたいと思い留学する。本当は修士のときから行きたかったが他にもいろいろやりたいことがあったため、博士に進学してすぐ行った。博士課程なのに修士の学生みたいだと言われていた。

 

5年目: 一旦戻るも研究費を得てアメリカに戻る。戻ると周りが自分の話をし出したように感じて、ああ最初はお客さんだったのだなと思った。春になったら戻らないといけなかったため、雪よなくならないで、まだスノードームのように美しいこの街に私をとどめていてと思う。日本に戻る日が怖かった。

 

6年目: 研究が長くなるから学位を取ってからアメリカに戻れと言われてそうする。実験しないと実験しないとと思っていて、他に楽しいことがあるのではと思っていた。ただ自分は足りないと思っていた。5年一貫のコースは卒業する。

 

7年目: アメリカ人に昨日何した、楽しめよと聞かれることなく、好きなだけ実験できるのもよいものだと思う。体調はよくなかったが、後輩は、戻ってきてくれてよかったと言ってくれて、穏やかな日々だった。学位も取得する。

 

8年目: コロナでアメリカで住んでいた家には人がいなくなっていると聞く。学会で会った人のところで働き出す。横の研究室の先生が教えてくれて、大学に博士特別研究生という学生証を2年分もらう。

 

9年目: 学生証をもらっているのだけど卒業しているので自分が学生にガンガンやれと言い出す。自分では気が付かなかったが、友達や他の卒業生に当たりが強くなったと言われる。大人しくしておかないとと思うけれど、存分にやってほしい。

 

10年目: 寄附講座の期間を終えまた研究室の引っ越しを行う。今回は主に書類部分を手伝う。客員教授だった先生たちは次は特任教授だそうだ。学生に話しかけられると卒業したのに顔を見せる幽霊みたいな私が視えるのと驚く。帰省どうでしたかとか聞いてきてくれる。帰省に関心があるというより何か話したいと思ってくれていたらしくありがたく思う。

 

11年目: 前の大学ではあと2年授業を続けるが、新しい大学では授業を行わないということで先生が授業をする場を探す。半年に15回授業をしないとアウトプットができなくて爆発すると言うのだ。何人かの卒業生とは連絡を取り合い続けている。

 

10年もいると何々さんもそうだったとか、それは何々さんのようだとか思うようになった。先生とそういう話をする。研究室には留学先も就職先も見つけてもらっている。人間関係もそこで築かれている。いつの間にかそれが財産になっていた。そんなこと思いもよらなかった。私が全員を知っているので卒業生が私が行くのであればと一緒に研究室の新年会などに顔を出してくれることがある。ああこの人がいるときはあの人と仲良くしていて、それはこの人がみんなの仲を良くしてくれていたからなんだと今になって気が付くこともある。私は今元気なので、かっこよくあらねばならない。