台湾を一周しながら考えたこと

2月10日から18日にかけて台湾鉄道で台湾を一周した。そのとき考えたことを書いておきたい。

 

台中では、日本統治時代の建物を見た。日本統治時代の建物はその後、台南でも、台南でも、高雄でも、台北でも目にすることになった。建物はそのまま置かれていた。そのまま置かれていて朽ちていないということは、手をかけてもらっているのだろう。日本統治時代の建物を見て時代のうねりには逆らえないと思った。人間はその中で、精一杯生きるだけだと思った。

 

台中から台南に移動。今回は移動が目的だが最初の一時間寝た。とても気持ちがよかった。起きると日が暮れていくところだった。日の出日の入りは人が一日を過ごすには美しすぎると思った。しかし太陽もずっと日の出日の入りをやっているわけではない。羊飼いなら、日々の美しさをずっと感じられるのかなと思うが、普通は、とは言えいろいろあるよねと思う。

 

台南では王育徳のことを知ることができてよかった。彼は日本に亡命した後、周りと比べて8年遅れて大学に入り、台湾語がなくならないように10年かけて台湾語の勉強をした。家を売って台湾語の本も出した。卒業後には、横井庄一小野田寛郎の後にジャングルで見つかった元日本兵台湾人の中村輝夫に対して、日本が未払いの給料を払っただけでお見舞金を払わなかったことをきっかけに、元日本兵台湾人の補償のために動いた。その結果、彼の死後になるが、一人200万円の弔慰金が元日本兵台湾人に支払われた。

なお台湾語に関しては、王育徳紀念館の前の日に行った、同じ台南の国立台湾文学館がよかった。両施設とも入場料は無料だ。

 

高雄市立美術館ではこの絵は宇宙だな、この絵の横にもう一枚宇宙があっても宇宙で、何枚あっても宇宙だ、つまり無限大+無限大=無限大だと思った。

その後東側をぐるっとして台北に戻った。

 

時代のうねりにしても日の出日の入りにしても宇宙にしても人一人の力は及ばない。でもその時代を作ったのは人間だ。作った人でさえもそのうねりは止められない。国立台湾文学館に、台湾には歴史が地層のように積み重なっていると書いてあった。自分がした行動はどこかに響く。そうして波はうねりになる。中島敦は「人生は何事も為さぬにはあまりにも長いが、 何事かを為すにはあまりにも短い」と言う。しかし為すにしろ為さないにしろ波は生じて広がる。NHKの『映像の世紀』に入ったような体験だった。

 

王育徳は一生を台湾の夜明けのために捧げたと説明されていた。兄を二二八事件で亡くしているし、中国がパスポートを更新してくれなかったため生涯台湾には戻れなかったが、研究者の人生としてはいいなと思った。信念を感じる。自分は何が得意で何をしていくべきか、そういうことを考えさせられた。

 

旅行に行けば何かを感じる。計画を考えるのも飛行機を取るのも面倒だけど旅行はとても価値のあることだと思う。台湾は楽しいので特におすすめだ。情報が入ってきていないので驚く。しばらく行ってなかったら行った方がいい。