熱源は人 北海道を一周して考えたこと

北海道&東日本パスで東北を一周したのが2020年夏。2024年春の今度は北海道を一周した。

 

私は妹が大阪に住んでいたときは青春18きっぷで福岡に帰っていた。そのとき思っていたのは静岡からは東京寄り、愛知からは関西寄りということ。東北の場合は仙台からは東京寄り、盛岡からは北海道寄りだと思う。

 

これまで沖縄には5回行った。徐々に戦争や経済、琉球王国自然のことも分かってきた。北海道も今回で5度目だったが、まだまだだなと思う。

 

博物館網走監獄では北海道開拓の礎は囚人の手によって築かれたと知った。囚人は南国の戦地にも送られそこでも土木作業に従事した。8千人の囚人のうち収容できたのは4千人だったので残りは外で働かされており、その様は動く監獄と言われた。北海道を横断する道路を作った際には、実に6人に1人の囚人が亡くなった。看守も亡くなった。現在その道は一部が国道になっているだけである。囚人の枕は丸太だった。それを叩いて起こすのが一番効率がよかった。叩き起こすという言葉はそこから生まれている。

 

北海道ならではと沖縄ならではのものは沖縄ならではのものの方が多いと思う。北海道のものは他でも流通している。沖縄のパンや駄菓子の方がそこでしか見ないものが多い。しかし北海道は広いので移動していくとその土地ならではのものを見ることができる。

 

観光客に来てもらうために大事なのは、シンガポールと言われてマーライオンが出てくるようなことだと言う。イメージがあるということが大事だ。しかしリピートしてもらうためには人が大事だと思う。北海道は人口密度が低いので店員さんが話しかけてくれる。一人に時間を割いてくれる。ありがとうとこんにちはがあるとまた来たいなとか人に勧めたいなとか思う。カンボジアに行ったときバインミーのようなものを頼んだ。話しながら丁寧に作ってくれて1ドルだった。100個買おうかと思った。100個買っても食べきれないので100人をそこに送り込みたいと思う。なおカンボジアはリエルと米国ドルが併用されている。

 

北海道はお菓子は美味しいかもしれないと思ったのが4回目に北海道に行ったときだ。牛乳や生クリームのおかげかたくさんの洋菓子が作られている。今回は全般的に美味しいのかもなと思った。今まで北大生にこれが美味しいぞと連れられて食べていたりして、言うほどかと思っていた。しかし梅干し入れると聞いて渡されたお弁当はおばあさんの優しさを食べている気がした。素朴に美味しい。日高屋の社長は自分のところのラーメンが美味しくないことを確認していた。驚くほど美味しいものじゃない方がお客さんは何回も食べにくるという理由で。まあまあっていうのは美味しいのかもしれない。でも福岡のものはなんでも美味しいよ。

 

旭山動物園は動物の野生での動きを見せる。そうなったのは随分前のことだからもう他の動物園も追随していると思った。しかしまだまだすごかった。キリンの金玉にこんなに注目したのは初めてだ。説明文は毎年書き直されているそうだ。人って呼べるんだなと思った。私は町の人が作ったイベントが好きだ。町の人たちが少しずつ自分のところで展示をする。行くと町の人は今日は人が多いねと話していたり、ここは今だけ公開しているので見ていってくださいと言ってくれたりする。町の人がイベントを楽しんでいる。盛り上げようとしている。その手作り感はとても魅力的だ。

 

「ごっくん馬路村」というジュースがあるがそういう風に村のブランディングも可能だと思った。東川村は北海道で唯一上水道がない。また写真都市を宣言している。私はそういうことを大雪(たいせつ)な卵の卵かけご飯を朝ご飯に食べたときに知った。その鶏は旭山動物園にもいた。上水道がないというカードは強いけどそうでなくても何かあるはず。私が生まれたところとは違うだろうから、私はその村について知りたい。

 

帰りに東京電力廃炉資料館、とみおかアーカイブミュージアム3月いっぱいでなくなるというふたばいんふぉにも行った。常磐線は2020年に全線が再び開通。東京電力廃炉資料館とふたばいんふぉは2018年に、とみおかアーカイブミュージアムは2021年にできている。私はそこで東日本大震災は主語を大きくしすぎたということを理解した。ミュージアムの「富岡は負けない」という横断幕に「がんばろう日本」みたいな気味悪さを感じた。しかしそれは一人の人が字が薄れては書き直して車が通るところに張り続けたものらしい。気持ちが負けそうになったこと、この横断幕が人々を励まし続けたことを感じた。誰が言うかは大事だ。資料館の人および映像は最初に事故のことを謝った。その後私はさくらモールに行った。作業着の人たちがそこでお昼ご飯を食べていた。紙を渡すと店員さんがサービスでコーヒーを淹れてくれた。富岡の人も東京電力で働いている。原発を誘致し出稼ぎに行かなくてよくなったという経緯がある。資料館の人に謝られたときはいつも電気を供給していただいておりますと思った。でもここに住む人たちを見るとこの人たちを悲しませたら許さないからねと思った。最初ここらの建物が綺麗で何ここはと思った。そういうのが多いものだから、そうか、震災後の建物かと気付いた。津波ってここかと分かった。ミュージアムには止まった時計や小学生がホテルのメモ用紙に書いた「生まれて初めての東日本大震災」というメモがあった。個人的なものだから伝わった。津波ってここで起きてたんだな。原発はこの近くにあるんだな。

 

長々と思ったことを書いたがまとめるなら「熱源は人」としたい。『熱源』は北海道一周中に読んだ川越周一の本のタイトルで、2019年下半期の直木賞受賞作だ。祖国を失ったリトアニア生まれのポーランド人は母国語のポーランド語を話すことを禁じられる。流刑地樺太アイヌとは異なる民族のギリヤークに出会い生き直すための熱を分けてもらう。目の前のことを頑張るだけだというのはそれが直火だからではないか。行かないと分からない、行けば分かる、リピートしてもらうためには人、ありがとうとこんにちはで人は呼べる、主語は小さくというのは全部人から生じる熱に繋がっていて、熱効率の話なのだと思う。