弔辞

大ママ。私は大ママんちの広い家を走り回るのが好きでした。大ママはすぐ後ろから片づけて回ります。ある程度大きくなってからも私は大ママんちに行きました。面と向かうと何を話していいか分からないのだけど、行っておくかと思って行っていました。大学生になると私は携帯電話を持ちました。今も同じものを使っています。私はそれを使ってスーパーでの買い物の帰りに大ママに電話するようになりました。私は大ママから最近の話や昔の話を聞きました。大ママの口癖はおおごとです。大ママは私からスーパーに並んでいる野菜の話を聞くのが好きでした。私は珍しい色のにんじんなんかがあると大ママに報告しないとと思って買い物をしました。大ママは私が珍しい野菜に挑戦すると感心感心と言いました。そう言われると私は何もなかった一日を悪くなかったと思えました。おばあちゃんに毎日のように電話していると言うと周りの人に言うと驚かれました。私は幸せだったようです。

 

大学進学時に上京するとき、大ママは涙が出るから沙彩ちゃんに電話できないと母に言ったそうです。私は「大ママが悲しい」以上のことをしないといけないと思って、規定以上の授業を取ったり、いろんな人と話したりしました。結局周りの人を幸せにすることが大事だなんて大人が言うようなことを私も思うようになったけど、20歳の私に納得してもらえるように私は「大ママが悲しい」以上のことを考え続けます。

大ママが亡くなったと聞いたとき私はこれからは大ママに見られると思って恥ずかしいなと思いました。珍しい野菜も切ってフライパンをいっぱいにして焼いているだけだから。リュックサックいっぱいに野菜を詰めて頭にお米を乗せて運んでいることもあるから。でも見ていてくれたらいいと思います。未央ちゃんは今、飛行機でニュージーランドから戻ってきているところです。私は先週、カンボジアベトナムに行きました。大ママが心配しないように帰ってきてから言うようにしていたけど、これからは行くところから見られますね。春に産まれる未央ちゃんの赤ちゃんも見てください。大ママはより多くのひ孫を望んでいましたね。私はひ孫の話も聞こえているのだけど、大ママに私たちの人生を見ていて面白いなと思ってもらうことを望んでいます。ありがとう大ママ。