介助の仕事と制度の穴

6月に一番見られたツイートはこれだった。

 

立岩真也の『介助の仕事』を読んだ。日経新聞で紹介されていた新刊。相模原障害者殺傷事件やALS嘱託殺人事件についてコメントを求められるってしんどいなあ。介護保険制度と重度訪問介護は違うということを知った。介助の仕事って悪くないよ。「少しだが大きく変える」。良書。

 

作者と出版社がリツイートしてくれた。

 

重度訪問介護を知らなかったのでこの後調べ、介護保険での訪問入浴時に重度訪問介護が市町村によって併用できるようになってきていることを知った。私は制度の穴好きなので面白いと思った。

 

生きているとときどき制度の穴に出会う。海外転出時にNISAやマイナンバーに関して不便な思いをした。我々のことは考えられていないのだと思った。市役所の人も困っていた。その後制度は変わった。

大学の制度により来年の3月に60歳になる事務の人が60歳になる年度で、つまり今年の4月でやめなければならなかった。研究室の先生も事務の人も把握していなかったので慌てていた。私は3月の彼女と4月の彼女では何が変わるのだろうと思った。これは数年後に変わることが決定している。なぜ数年後なのか。

 

制度の穴が好きな理由は分からないが、穴を見つけると、こういうところが見落とされるのかなるほどと思う。法律の歴史はその繰り返しなのでとても面白い。しかし当事者からしたらたまったものではないだろう。考えたらこうした方がいいということが分かるのに融通が利かないのでなぜそうなのだと絶望する。それを訴えて制度は変わっていく。

 

重度訪問介護の場合は人数が少ないだろうし、他にも大変なことがたくさんあるだろう。国の仕組みである以上、その問題を当事者だけが考えるのはおかしいと思う。

 

6月は8時間寝て、8時間働いて、残り8時間はどうしようと考えていた月だった。これをやらないといけない、他のことはそれからと思っていた一昨年、何を考えるかから考えないといけなかった去年に対して今年は、まさか残り8時間は別人格を生きたいけどどうするかななんてことを思うとは思わなかった。それでみんながどんなことを考えているか、重度訪問介護を利用する人にとって訪問入浴とはということが気になっていた。考えることがあることはいいことだとか、でもそれもバランスだとか。来年は何を考えているのか。ここで考えたことは何かに繋がるのか。