コミックエッセイの描き手に女性が多いのはどうしてだろう

10月に一番見られたツイートはこれだった。

 

なぎまゆの「『ちゃんとしなきゃ!』をやめたら 二度と散らからない部屋になりました 見えないところも整理整頓編」を読んだ。前作より細かい。クローゼットはすっと開くようになるといいな。

 

コミックエッセイが多い分野はなんだろう。旅行、異文化、食べ物、育児、病気、職業、ペット、恋愛、介護、ここら辺が思い浮かぶが、先月私は、片付けにもコミックエッセイが多いことに気が付いた。近所の図書館では、料理、育児、掃除の場所が近い。それらの棚には漫画の書体でタイトルが描かれた背表紙の本が多く、なんだここはと思った。あとピンクが多かった。

 

コミックエッセイは自分の経験を誰かに伝えたいと思って描かれるもので、そういう共有は女性の方がするからか、描き手には圧倒的に女性が多い。そして家のことをする時間は女性の方が長いことが多いため、そういった分野にはコミックエッセイも多い。

 

育児のコミックエッセイに、ネットの情報に振り回されたとき一番役に立ったのは家の場合はこうだったという声だったと書いてあった。コミックエッセイにはそういう声が豊富だ。

育児エッセイはどれも同じ。子どもの成長が嬉しく寂しい、大変だが子どもが小さい期間は短いので頑張ると書いてある。だが一冊一冊がいい。旅行のコミックエッセイも同じ人が同じ国にまた行っていたりする。でも前回とは違う。子どもの数だけ、作者の数だけ、コミックエッセイがある。

コミックエッセイの書き手は文や監修のいる本に絵や漫画だけ付けていることもある。分かりやすい。この人は情報を拾うのが上手いのだなと思うこともある。だけど私はその人の話が好きだ。その人の場合に過ぎないけど、だからこそ一人の人の話として頭に入る。自分の経験を描くことに戸惑いながら、でも他に描き手がいないからと描いて伝えてくれている人もいる。

日本にはコミックエッセイという共有手段がある。私はこの恩恵を享受したい。ブログが本になっていることも多く、絵は上手くなくてもいい。書く方にも興味がある。

 

10月は他に、十五夜だけの片見月にならないように十三夜にもお月見団子を作って、月に感謝した。私はお団子にお豆腐を入れる。