「結婚や出産に逃げた」ってなに

その道はないなとうっすら思ったことが3回ある。

 

1つ目は、女性は男性ほど跳べないと知ったとき。体操教室で跳び箱やら鉄棒やら縄跳びやらをするのは好きだったが、人類の新記録を出すのは男性だし、新記録でなくても大会で男性と女性が跳ぶ高さは違うらしいと知ったときガックリ来た。転校するときに体操教室はやめた。そのガックリがなくても体操選手にはならなかったとは思うが、これが初めてのガックリ記憶。

 

2つ目は、生理で顔を作れないときがあるからアナウンサーは無理だなと思っていたとき。体はどうにか動いたとしても笑えないときがあるから、顔を作る必要があるものは無理だと思っていた。自分がいなくても困らないものだけを考えていた。その後、低用量ホルモン剤を飲むようになった。とても楽なので、そういう職業に就きたい人はそうしたらいいと思う。そうでなくても低用量ホルモン剤は飲むべきだ。また私はそのときまでにするというbyの作業は得意だが、そのときまでするというuntilの作業は苦手だと分かった。だからこれまた大きな影響を与えたわけではないけど、できないと思っているのとしないというのは心持ちと視界が異なる。

 

3つ目は、生物工学会誌に載っていたキャリアデザインの話で、「結婚や出産に逃げた」という言葉を見たときに、あれそう言うのかと思い認識した。まず、逃げたと認めているところがかっこいいと思った。日経新聞の「私の履歴書」では輝かしい経歴しか見ない。しかし生物工学会誌のこのコーナーでは、若手研究者のために先輩研究者が自分の経験談を書いてくれており、かっこ悪いところも見せてくれる。「結婚や出産に逃げた」って分かるなと思った。出産があるとどうしても一時的に研究が止まってしまう。低空飛行でも研究を続けるようにとか書いてある。有益なアドバイスではあるが、低空飛行になっちゃうときがあるしねと思ってしまう。今は、逃げるのはよくないことだろうが、そういうことが用意されているってところに問題はないかということが気になるようになった。北欧では男女平等の価値観が子どものときから徹底されているそうである。そうであったなら逃げるということも発生しなかったのでは。

 

夜、頭が痛くて目が覚めて考え事をしたときに、女性じゃなかったらこういうこともなかったかなということが3つ浮かんだのでまとめてみた。そういう女の子がいたら何て言う。私はその子が存分にやれるようにしてあげたいって思う。