なんでと聞かれることは辛いが、自分でその問いに答えられる状態は強い

12月に一番見られたツイートはこれだった。

 

『未熟なふたりでございますが』の1-5巻を読んだ。幼馴染の新婚夫婦。

 

お互い未経験のこの夫婦に読んでいて早くせんかいって思ったけど、二人のペースでいけばいいんだ。他人があれこれ言うことではない。12月には村田沙耶香の『コンビニ人間』も読んだ。主人公は18歳のときから18年間コンビニでバイトをしている。コンビニのバイトを始めたときは喜ばれたのに、ずっとしていると、なんでずっとバイトをしているのかと言われるようになってきた。体が弱い、親の介護があるという作り上げた理由でも納得してもらえなくなってきた。主人公は変わらないといけない理由が分からないので、読んでいると主人公がなんでと聞かれることを辛く感じる。でも私もなんでと聞いてしまうかもしれない。作り上げた理由だから納得されないのかもしれない。でもなんでを上手く説明できないこともある。そういうときはなんでなんてことがないといけないのかなと思う。

 

11月から12月にかけてコーチングを受けた。そこではずっとなんでという話だ。考えることが宿題に出される。私はいろんなことがしたい。大学院生のときそう思い楽になった。いろんなことができる方を選べばいいだけになった。そこにそれ以上なんではないと思っていた。しかしコーチングを受けて、その人にしか見えない景色を見たい、セブンイレブンで働いて、ローソンで働いて、ファミリーマートで働いてみたいなことではダメだと気付いた。いろんなことと言っても高さがいるらしい。次のコーチングの回では、私は裏道も好きだと気付いた。上からの景色はとてもいい。そこに登るとしても裏側も気になる。高さだけでもないのだ。転職するかしないか、私のコーチングにはそういう明確なテーマはなかった。コーチングがどういうものかあまり知らずに始めた。だからコーチングをしてくれる人に申し訳なくて始めてからいろいろ考えた。宿題はプレッシャーだった。私は何が好きなの、何がしたいの。自分の中に語るべきことがたくさんある人しかそういうことを考えても意味がないと思っていた。でも答えは自分の中にしかない。コーチングをしてくれた人はかっこよかった。こういう経緯でこう思い今こうしておりこれを目指しているということが言える。それがかっこいいことであるということも自分がやってみて私はそういう風に言えなくて気が付いた。何がしたいかを意識して物事を進められるということはかっこいい。自分一人で考えられなくてもコーチングなら一緒に考えてくれる人がいる。私が自分の考えに気付いたことに喜んでくれる人がいる。目の前のことだけじゃなくて、自分は何がしたいのかそういうことを考えていく。考えることは続いていく。宿題になっているから。

北区と板橋区の6つの文化祭に行った話

北区と板橋区の計6つの文化祭に行ったのでそのことを書きたい。

 

東京都立赤羽北桜高等学校 北桜

令和3年に開校したそうなので、今年初めて、1年生から3年生までが揃ったことになる。家庭学科(保育・栄養科、調理科)、福祉学科(介護福祉科)があり、料理の展示がよかった。入浴実習室もあり、専門高校ってそういうことか、料理を習っている人がいる傍ら、高校生で介護を習っている人もいるのかと思った。

 

帝京大学 板橋キャンパス 帝桜祭

現在、私が所属している大学。自分の出身大学は国立なので、私立はオシャレで違うと思っていたが、学生と接すると親しみを感じられるようになった。硬度の違う水の飲み比べやジャグリングをした。ジャグリング部には、教えるのが上手な人がいた。投げるより地面に落としてしまったものを繰り返し拾うのがきつく、玉が紐で繋がっているけん玉はなんて優れているんだと思った。腰に大きなシャンプーハットの逆向きが付いていて、しゃがまなくてよくなるといいのに。実験教室は先生や卒業生も担当していた。板橋区が健康のために考えたレシピの紙が置いてあり、持って帰って作った。

 

東京家政大学・短期大学 板橋キャンパス 緑苑祭

一度、博物館には来たことがあった。キャンパスが綺麗で歩いていて楽しい。造形表現学科があるので作品を見ることができる。看護学科で人体の立体パズルや包帯巻きをしたり、心理カウンセリング学科でどうしたら自分が元気になるかポストイットに書いたりストレスチェックをしたりした。よかったのは辨野義己先生の腸内細菌の講演。東京家政大学の先生ではない。本をたくさん書かれており、話が上手で面白い。「日本人が得意な研究」をするということについて考えた。日本人にとっての得意、不得意を考えて研究をしてもいいのかもしれない。近所の図書館で辨野先生の本を借りた。

 

東京成徳大学・短期大学 桐友祭

やさしいズ、オズワルド、もう中学生のお笑いライブを見た。0.5合分のお米の量をどれだけピッタリお茶碗に入れられるか、制限時間内にどれだけお豆をお箸で運べるかに挑戦した。北区には子ども食堂が多いが、それぞれの食堂がどこにあり、いくらで、どれくらいの頻度で開催しているのかを知ることができた。健康・スポーツ心理学科の推し活に関する研究のポスターを見た。

 

大東文化大学 板橋キャンパス 大東祭

漫画『とめはねっ!』に出てくるので行ってみたかった。建物が面白かった。100周年。第100代の書道部の部長が、書道学科の4年生。書道一色の学生生活。書には証明写真と書き手の文章が添えてあった。目黒区美術館区民ギャラリーで慶應義塾大学書道会の展示を見たときに、それらの情報があると私も鑑賞できるということを知った。こんなに字が上手だったらその人は見るからに何かを発していてもよさそうなのに、証明写真の中の人は普通だ。この人がこんな字を書くんだと思いながら見る。鉄道研究会鉄道模型車輌やプラレールもよかった。鉄道が走るのはずっと見ていられる。子どもに人気だった。

 

東洋大学 赤羽台キャンパス 赤羽台祭

THIS IS パン、GO!皆川、アインシュタインのお笑いライブを見た。立ち見。ここも建物が面白い。赤羽台は団地の聖地である。3階の渡り廊下を渡れて満足した。情報連携学部の建物が7年前、福祉社会デザイン学部と健康スポーツ科学部が2年前にできたらしい。福祉社会デザイン学部ではロゴや照明の作品を見ることができた。情報連携学部ではChatGPTを使ったアプリをいろいろ触りアンケートに答えてきた。β版に意見を出すのは楽しい。情報連携学部長の坂村健先生の講演も聞いた。SDGsに取り組むサークルはフードロス対策としてパッケージの印刷に失敗したハリボーをくれた。教えてもらったTABLE FOR TWOのおにぎりアクションには参加したい。

 

まとめ

体験できるものや研究発表展示があると楽しい。大学生が説明してくれるのが楽しい。説明してくれた人たち、ありがとうございました。誘導をしているスタッフの皆さんも。特に自転車置き場など、人が少ないエリアを一人で担当している方々。おかげで楽しかったです。北区と板橋区の高校、大学が顔なじみになり、分かる範囲が広がった。

「結婚や出産に逃げた」ってなに

その道はないなとうっすら思ったことが3回ある。

 

1つ目は、女性は男性ほど跳べないと知ったとき。体操教室で跳び箱やら鉄棒やら縄跳びやらをするのは好きだったが、人類の新記録を出すのは男性だし、新記録でなくても大会で男性と女性が跳ぶ高さは違うらしいと知ったときガックリ来た。転校するときに体操教室はやめた。そのガックリがなくても体操選手にはならなかったとは思うが、これが初めてのガックリ記憶。

 

2つ目は、生理で顔を作れないときがあるからアナウンサーは無理だなと思っていたとき。体はどうにか動いたとしても笑えないときがあるから、顔を作る必要があるものは無理だと思っていた。自分がいなくても困らないものだけを考えていた。その後、低用量ホルモン剤を飲むようになった。とても楽なので、そういう職業に就きたい人はそうしたらいいと思う。そうでなくても低用量ホルモン剤は飲むべきだ。また私はそのときまでにするというbyの作業は得意だが、そのときまでするというuntilの作業は苦手だと分かった。だからこれまた大きな影響を与えたわけではないけど、できないと思っているのとしないというのは心持ちと視界が異なる。

 

3つ目は、生物工学会誌に載っていたキャリアデザインの話で、「結婚や出産に逃げた」という言葉を見たときに、あれそう言うのかと思い認識した。まず、逃げたと認めているところがかっこいいと思った。日経新聞の「私の履歴書」では輝かしい経歴しか見ない。しかし生物工学会誌のこのコーナーでは、若手研究者のために先輩研究者が自分の経験談を書いてくれており、かっこ悪いところも見せてくれる。「結婚や出産に逃げた」って分かるなと思った。出産があるとどうしても一時的に研究が止まってしまう。低空飛行でも研究を続けるようにとか書いてある。有益なアドバイスではあるが、低空飛行になっちゃうときがあるしねと思ってしまう。今は、逃げるのはよくないことだろうが、そういうことが用意されているってところに問題はないかということが気になるようになった。北欧では男女平等の価値観が子どものときから徹底されているそうである。そうであったなら逃げるということも発生しなかったのでは。

 

夜、頭が痛くて目が覚めて考え事をしたときに、女性じゃなかったらこういうこともなかったかなということが3つ浮かんだのでまとめてみた。そういう女の子がいたら何て言う。私はその子が存分にやれるようにしてあげたいって思う。

コミックエッセイの描き手に女性が多いのはどうしてだろう

10月に一番見られたツイートはこれだった。

 

なぎまゆの「『ちゃんとしなきゃ!』をやめたら 二度と散らからない部屋になりました 見えないところも整理整頓編」を読んだ。前作より細かい。クローゼットはすっと開くようになるといいな。

 

コミックエッセイが多い分野はなんだろう。旅行、異文化、食べ物、育児、病気、職業、ペット、恋愛、介護、ここら辺が思い浮かぶが、先月私は、片付けにもコミックエッセイが多いことに気が付いた。近所の図書館では、料理、育児、掃除の場所が近い。それらの棚には漫画の書体でタイトルが描かれた背表紙の本が多く、なんだここはと思った。あとピンクが多かった。

 

コミックエッセイは自分の経験を誰かに伝えたいと思って描かれるもので、そういう共有は女性の方がするからか、描き手には圧倒的に女性が多い。そして家のことをする時間は女性の方が長いことが多いため、そういった分野にはコミックエッセイも多い。

 

育児のコミックエッセイに、ネットの情報に振り回されたとき一番役に立ったのは家の場合はこうだったという声だったと書いてあった。コミックエッセイにはそういう声が豊富だ。

育児エッセイはどれも同じ。子どもの成長が嬉しく寂しい、大変だが子どもが小さい期間は短いので頑張ると書いてある。だが一冊一冊がいい。旅行のコミックエッセイも同じ人が同じ国にまた行っていたりする。でも前回とは違う。子どもの数だけ、作者の数だけ、コミックエッセイがある。

コミックエッセイの書き手は文や監修のいる本に絵や漫画だけ付けていることもある。分かりやすい。この人は情報を拾うのが上手いのだなと思うこともある。だけど私はその人の話が好きだ。その人の場合に過ぎないけど、だからこそ一人の人の話として頭に入る。自分の経験を描くことに戸惑いながら、でも他に描き手がいないからと描いて伝えてくれている人もいる。

日本にはコミックエッセイという共有手段がある。私はこの恩恵を享受したい。ブログが本になっていることも多く、絵は上手くなくてもいい。書く方にも興味がある。

 

10月は他に、十五夜だけの片見月にならないように十三夜にもお月見団子を作って、月に感謝した。私はお団子にお豆腐を入れる。

自分の人生にちゃんと関わらないと、自分の人生なのにおざなりになってしまう

9月に一番見られたツイートはこれだった。

 

め組の大吾 救国のオレンジ』の1,2巻を読んだ。消防官がこんなに頑張ってくれているなんて。

 

め組の大吾 救国のオレンジ』は『め組の大吾』の続編で、アニメも始まったみたいだ。

 

9月は2人から刺激を受けた。

1人目は72歳の社長。会社の行き帰りには人生の満足度を上げることを考えることにしているらしい。人生の満足度は上げたい。ただそれを毎日考えるって、それに向き合うってすごい。

2人目は研究所の人。2週間のハッカソンイベントに参加したのだけど、私ともう一人の会社所属の人は、同じチームのその人と大学生の意見をまとめる方に回ってしまった。最終的にその人は、このハッカソンを一番楽しんだのは私だと言った。研究を続ける人ってこういう人だよと思った。ハッカソンに参加する際には、毎日そのための時間を取り、自分の意見を出せるだけ出した後でまとめる側に回った方が良いと学んだ。そうしないとすぐ終わってしまう。優勝チームはハッカソンの期間中にリアルでも会っておりZoomでの打ち合わせ回数も多かった。2週間後に集まったときの仲もよかった。私は他のチームに対してではなく自分に対して悔しかった。やれることはたくさんあった。

2人と会ったことを合わせて、私は自分の人生にどれくらい関わっているだろうかと思った。自分の人生でも、流されていたら自分が関わらずに終わってしまう。すぐ終わってしまう。働いてみたら、そういう感じでとは思っていなかったが、それなりに楽しかった。でもそれだと振り返ったときに何もない。自分の人生に関わることに毎日向き合うのは大変だ。そうするとレバレッジの効き方が変わってくるとしても大変。でも自分の人生の舵は自分で取らないといけない。私はそれを当たり前だと思っていたけど、舵取りを人に任せたつもりはなくても、自分が自分の人生に関与していないということは起こってしまう。

そういうことが起こりやすい環境、起こらない環境もあると思う。大学にいたときは自分でどうにかするしかなかった。今は所属している人になってしまった。自分という個人の人生にちゃんと責任を持つとかそういうことが分かるようになってしまった。今は自分の動くの待ちな感じがする。

冒険家の植村直己は「経験は技術」と言っている。本当は立ち止まらずに経験を積み重ねていきたい。

一心不乱に進むのはいいなと思うけど、私は日常を見るのが大好き

8月に一番見られたツイートはこれだった。

 

『フツーに方丈記』を読んだ。私は大原扁理の新作を楽しみにしている。コロナ渦は図書館が閉まり、買うなら図書館にない本ということでBL漫画を読んでいたそうだ。実家の話もあった。古市憲寿の記事を読んだときに思ったのだが、なぜそう考えるようになったかを理解するのに、育った家の話は大事だ。

 

続けてこうも呟いている。

 

(続き、メモ)将来の安心のために今この瞬間を腐らせ本人不在の人生にならないように、残された時間は長くて半年とする。方丈記の終わりは「ここまで、誰のためでもない自分だけの楽しみを書き綴ってきたが、残された貴重な時間を無為に過ごしてしまったように思われてならない。」

 

大原扁理はこれまで
『20代で隠居 週休5日の快適生活』
『年収90万円でハッピーライフ』
『いま、台湾で隠居してます』
といった本を出していて、私が新作をチェックしている作家の一人だ。

 

私はできるだけたくさんのことをしたいと思って生きている。この先になぜはない。なぜそう思うのかと言われても、答えはそう思うからになる。積み重ねて同じものが違うように見えるようにならないと嫌だが、どんどん上にというよりどんどん広くと思っている。1万個の経験をしようとは思っていない。7千でも、8千でも、できるだけ多く。私は公園にも行きたいし、寝たい。一心不乱は幸せだと思うけど、日々をすごく見ていたい。1万個でも何でも目標があった方が早く進めると思うけど、早く進みたいにも関わらず、スーパーを巡れないと嫌だ。先日、アメリカや日本の水道を救っているベンチャー企業、フラクタの本を読んだ。起業して社会課題に挑戦している人を羨ましく思う。私が毎週『カンブリア宮殿』を見ていることに対して妹がいいなと言う。私が、見たらいいじゃんと言っても妹は見るわけではない。それと一緒だ。いいなと思うけどやらない。

私は長く大学にいる。人類の知を増やせると嬉しい。成果が出ないと迷うが道は分かりやすく見えていた。結果が出るということはいいことで結果を出すのみ。道が分かりやすい分苦しいけれど。ところが社会に出ると何を積めているのだろうと思った。行為としては楽だけど、限りある人生に何を詰めたらいいんだ。

博士課程でその後アメリカに戻ろうと思っていたとき、もっと他に楽しいことがある気がすると思っていた。今またそれを思うようになってきた。やるなら今度も全く違うことをしたい。

幸せは難しくない?むしろあがきたい?

7月に一番見られたツイートはこれだった。

 

佐々木典士の『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』を読んだ。すごい。こんまりさんのようにこれはもう思想になっている。後半どんどん伸びる。生きているだけでも充分。うまくいっている夫婦はそうでない夫婦と比べて週5時間は長く話す。

 

26カ国語に翻訳されているのが分かる。素晴らしい。最初はミニマリストの話なのだけど後半からはミニマリストとは生き方だと分かってくる。トマトも集中して切ればそれだけで幸せ、物が少ないともし妻がいて掃除をしていたらずるいと言うだろうという話があった。分かる。階段を下りて下の階のトイレに行くのが楽しいことがある。そんなことがイベントになり得る。なんだ、私これ分かるよ、私大丈夫だよ、幸せを感じていられるよと思った。でもそれでいいのかなとも思う。歩いてスーパーを回って帰って買った食材を食べたら幸せ。本と漫画もあればずっとやっていけそう。でもそれでいいの。

 

青春18きっぷ高崎市山田かまち美術館に行った。200円だった。高崎市は観光客のために観光案内所ではなく駐輪場で自転車を貸してくれるので、群馬八幡駅では少林山達磨寺に、倉賀野駅では観音山古墳、群馬県立博物館、群馬県立近代美術館に自転車で行った。観音山古墳では石室に入ることができる。また高崎駅では高崎市山田かまち美術館だけでなく高崎市中央図書館にも行った。4階までは総合保健センターで5階が図書館なので、検診に行くではなく図書館に行くと思えそうだ。

さて山田かまち美術館に戻って、私は、私尖ってないなと思った。私にも尖っている部分は過去あって、それが今は尖っていないなんて、分かりたくなかった。エレキギターの練習中に17歳で亡くなった画家、詩人のかまちは、強くなりたい、強くなりたい、強くなりたいと書き記している。分かる、私もそう思っていた、でも今そんなに熱くない。自分がそういうことになるなんて思わなかった。変化なんか感じたくなかった。その後怒ることはあって私にも熱はあるかと思ったけど、10代や20代の若さ、エネルギーとは違うと思った。かまちの場合は溢れていた。友達にその話をしたら私は今充電中だと言われた。彼女はまた元に戻るつもりでいる。各年代の熱さはそれぞれ違っていい。ずっと好きなものがある人はいい。ただ不可逆なので眩しいだけだ。

 

私は野菜を切ることで幸せを感じられる。たくさん自分と旅したから、自分の楽しませ方も分かっている。でももっとジタバタしたかったと思った。大学院生が一緒にジタバタしましょうよと言うけど一緒にしたところで中身が違う。一般的な大学院生よりは遠くが見えている。だけどそれでも、ミニマリストでも、私は怒っていたし、もがいていたいし、上手になんて生きていたくないかもしれない。そういうのも大事ではないですかというのが今の私。

山田かまち美術館はとても胸に流れ込んでくるのでおすすめ。