バンコクからシンガポールを縦断して考えたこと

バンコクからシンガポールを縦断した。

・3月末までに有休を消化するためにある程度長く行きたかった。
・東南アジア好きだがタイ・ラオスベトナムカンボジアは行ったことがあり、シンガポールに行くならマレーシアとセットにしたかった。
深夜特急を読んだことがある。

ということで縦断した。時系列に沿って振り返りたい。

 

<タイ>

18時間列車に乗るために、わざわざホーチミンで乗り換えてバンコクに行った。そのためバンコクでは、クルンテープ・アピワット中央駅近くの公園と市場にしか行っていない。公園にはバンコク蝶の庭と昆虫館があった。

バンコクは車が多かったので公園はよかった。年末に行った釜山・慶州でも、遺跡の野原をただ歩いたのがよかったが、それと同じだ。公園にはミズオオトカゲがいた。変な木片かと思ったらミズオオトカゲだった。あれっていていいの、ペットなのと思った。あんなのが足に乗ってきたらびっくりするのに歩いているとドボンという音がある。あいつの方が逃げて池に入って泳ぐのだ。あいつはシンガポールにもいた。

クルンテープ・アピワット中央駅ではちょうどコスプレ大会をしていた。日本語の歌も流れて踊っていた。男の人がスカートを履いていたり、痩せた人太った人も好きな格好をしていたりした。どうしてタイがそんな感じなのかは分からないが嬉しかった。

 

寝台列車

どうして忘れていたのだろう。進行方向を向いて窓際の席から外を眺めているとき、ずっと着かなくていいと思う。この幸せは私の人生におけるかなり上位にある。寝台列車はインド振りだったが今は世界中の寝台列車が気になっている。景色を見るのではなく寝るのでもいいのだ。

 

<越境>

国境を越えたとき、越えられるんかいと思った。世界から難しいことがなくなってしまったようで不満だった。もう私はどこにでも行けるし住めると思った。私は難しいことが好きだ、仕事も難しい方がいいのかなと思って友達にLINEした。彼女は簡単な方がいいと言った。でも難しいと余計なことを考えなくて済むよ、楽しいことだけだったら途切れる瞬間はあるからと言ったら、そういうこともあるかもねと言われた。

 

<マレーシア>

マレーシアでは5泊した。マレーシアにはイスラム教も仏教もヒンドゥー教キリスト教もあった。なんて私は楽しそうにするんだろうと思った。東南アジアを旅行するのが本当に好きなんだな。生き生きしていた。私がこんなに好奇心で動くのであれば、そういうことを周りにたくさん配置して、私が動くようにしたいなと思った。

enjoyということについても考えた。アメリカで実験していたとき、よくenjoyと言われた。enjoyしないといけないと。あれって命令、強制だったのではないかと思った。使われる頻度的に頑張れの英語版だとは思っていた。どうしたら楽しめるかを考える。Take it easyではない。Take it easyだとしても考え抜かれたtake it easy。最大限の力を発揮するためのtake it easyであり、enjoy。欧米人はすごいものだと思った。

 

どこの国に行っても映画を観るが、ここでは『Vaathi』を観た。授業料無料の公立の学校の先生が、私立の学校の人に「No money, no education.」と言われる。私立の学校にとっては無料でそんなにいい教育が行われては困るのだ。でも先生は授業をすることを諦めなかった。私は分かりやすいストーリーっていいなと思った。本当は法律や経済などにも言及する必要がある。そこが語られない話はダメだ。そう思ってまた友達にLINEをした。アンパンマンばいきんまんを完全にはやっつけないし、マリオが倒すクッパも次のゲームで登場する。そんなに簡単なストーリーはないということになった。だけど分かりやすいストーリーを持っていたら動きやすい気がする。まっすぐでいいなと思った。

カンボジアでは幸せになればいいと思った。この池の景色を見られたらとりあえず幸せではないかと思った。しかしベトナムでは資本主義は止まらないと思った。そしてここマレーシアでは仕事は難しい方がいいとか、分かりやすいストーリーがある方がいいとか、没入して余計なことを考えないということ、そのための環境づくりに関心が行っていた。

 

シンガポール

マレー系、中華系、インド系がいるのはマレーシアと同じだが、シンガポールでは中華系、マレー系、インド系の順番に多い。レストランで周りを見るとひとつひとつの集まりの中で人種は混じっていない。お互いに分かり合えないと知っていながら社会の中で共にいる。人種の坩堝ではなく人種のサラダボウルなんだなと思った。

シンガポールは大統領が作ったレゴの街みたいだった。面積と人口が小さいので考えやすい。ここに埋立地を作ろうとか大統領が思ったんだろうな、私が大統領だったらどうしようと思った。自然にこうなったみたいな家がない。大統領によって作られている。怖さも感じるが綺麗で、ありなのかと思いもする。

シンガポールでは父の友達に会った。2日間本当によくしてもらった。24時間の運転手が付いていて、私は、え、運転手さんにこの人このお店好きだなとか思われたくないんだけどとか、この車1 mm縮めたらいくら安くなる、運転手さんには快適に過ごしてもらいたいけど私の前のここの空間は縮められるとか、そんなことを考えていた。レゴの街に次ぐのけぞり事項だった。

それまで考えていたことはすべて父の友達にぶつけた。父の友達はなんでも答えた。それは目的によるとか言っていた。「自発性と内発性があると宮台真司が言う。対だと思っていたけどその2つだけではないのでは」と言ったときは、それはその人の考え方だと言われた。「カンボジアでこう考えて、ベトナムでこう思って、タイではこうで、マレーシアではこう、そしてシンガポールで今こういう状態で分からないまま帰らないといけない」と言ったら、それでいいじゃんと言ってた。「私はもっと苦しもうと思った。つまりマレーシアで人生を最大限楽しむということについて考えていたのだけど、国境を簡単に越えられたことを不満に思ったように、私にとっては苦しいことが楽しい」と言ったときは、どうしてと言われた。私がいろんなところに行きたい、いろんな人に会いたいと思っているとして、それはどうしてか、人と話しているときなんかに考えて、それで残るものが大事だとか。そして中村天風の本をもらった。答えてもらったことはここに書いてあるらしい。プラナカンタイルももらった。だから大丈夫だ。今は人生を最大限楽しもうとするのか、そのために苦しむのか、苦しみたいのか、ぼやっとしている。分かったことは、難しいことは減ったかもしれないけど、知らないことはたくさんあったということ。それが嬉しいということ。私にはもがいて走ってほしい。走りたい。