幸せでいればいいと思ったカンボジアと幸せの形はどこに向かうと思ったベトナム

大学の友達がベトナムに帰国したのでベトジェットで会いに行った。カンボジアにはどうせ直行できないのでカンボジアベトナムをセットにした。

 

カンボジアではアンコールワットポルポト政権のキリング・フィールドを見た。3日券で毎日石の建造物を回った。全部自転車。ロリュオス遺跡群までも自転車で行った。兵庫県で防犯登録されている自転車で、鍵のキーホルダーはONE PIECEだった。それに乗って稲の横をひたすら走った。途中で焼きバナナを買って食べながら車と一緒に走った。今日も石って思った。だけど池の水の風景が美しくて、そのそばに住んでいるのであればとりあえず幸せだなと思った。最後の日私はノンテン・バテーを買った。カンボジアバインミーである。1ドルって言われたとき100個買おうかと思った。そのあとトゥクトゥクで空港に向かった。空港に向かいながら私は、この国にもらってばかりで何も返せてないと思った。そしたら大地が幸せになればいいと言った気がした。幸せになって溢れたものを人にあげたらいいって。カンボジアではたくさん友達がいないのかと言われた。人との営みの中で幸せを作っていけばいいのだ。

 

そうしてベトナムに戻った。11年振りに訪れたのに何も変わっていないじゃないか、変わるつもりないのというバイク。歩くのは得意だけど、あれをよけて渡らないといけないと思うと嫌になる。友達は会って早々、私に年金とiDeCoの話をした。9年ぶりに会っても今の話をするってことはこの先ずっと私と彼女は更新され続けていつだって楽しめるんだなと思った。彼女は7年間日本で働いたのだが、今円安で私が働いていた期間は何だったのかと嘆いていた。そして円とドルとドンに資産を分散させるとか、金を買うとか、あとはベトナムで整形が流行っているという話をした。彼女は私の足の上に自分の足を乗せて、私は足踏まれてるなあ、ベトナム人の距離感だなあと思いながら、豆乳入りベトナムコーヒーを飲みつつ話を聞いた。それから映画館で『Black Panther: Wakanda Forever』を見た。フィリピンで『Beauty and the Beast』を見たときは、英語圏だとすぐ公開できるなとだけ思ったのだけど、今回はこれが世界最高峰の映画なのだなと思った。カンボジアでは幸せでいればいいと思ったのに、これを見て私は幸せが何か分からなくなった。ベトナムにはすき家ジョリビーマクドナルドがあった。都会なら便利なものはあって欲しい。でもこの映画、たくさんの人が協力し合って作られたのが分かる。これをベトナムや日本がやるかと言うとやらないと思う。だけど資本主義の中にいるのなら目指すべきはGAFAにならないか。ときどき映るアメリカのあの家に憧れないか。

 

その後私はマレーシアに行った。空港の周辺しか見てないが、また違う国である。どこに答えがあるかは分からないけど、幸せと便利さはこれまでたくさんの人が考えてきた問題で、いろんな国が国ごとにそれぞれの解を出しているのではないかと思う。私はこれからそれを見て回りたい。

したいなあって思うだけでも意味はあるのか

10月に一番見られたツイートはこれだった。

 

「転生ゴブリンだけど質問ある?」の1-6巻を読んだ。毎話次の話が気になるので一気に読んだ。ジャンプ以外の漫画を読むと、漫画っていろんなのあるなあって思う。

 

ジャンプだとハンター試験や中忍試験があり、部活ものなら真面目回の途中に試験対策や文化祭がありなどがある程度決まっていて安心して読むことができる。なのでジャンプ以外の漫画を読むと、まず世界の枠組みを教えてと思う。だけどそういう漫画だってもちろんありだ。その掛け合わせは今までなかったというパターンを見ると、ありとあらゆる形がありそうで、私の頭から漫画を出したらどんなものが生まれるのだろうと思う。
読まれることがない中で描こうとはならないので、図工の時間みたいにその時間が設けられたらと思う。「図工の時間」は私の頭の中に転がっている考え事のひとつで、図工の時間ってなんだろう、どういうのがあるだろう、どこにあるだろう、どうしたら生み出せるだろうと考えている。

 

もうひとつ最近の考え事の話。言ってたら叶ってるという話だ。私は院生のとき留学で溜まったマイルでフィリピンに行った。フィリピンは東南アジアにあるキリスト教の国で思っていたのと全然違った。国が若くて私はこの国と仕事がしたいと思った。社会人になり最初の仕事はフィリピンとのものだった。私は忘れていてそう言えばフィリピンと仕事がしたいと思ったんじゃん、最初の仕事でそうなってるじゃんと思った。上手くはいかなかったけど。
「次の旅行では島に行きたい」と思ったら研修で行ったフィンランドで島に行ったし、「次の旅行では陸路で国境を越えたい」と思ったらラオス人の帰省に付いて行ったときタイにも行った。そして最近、大島と宮古島には行ったけど、私はまだ島にはまっていなくて、手軽なところとして佐渡島に行きたい、調べたら2024年になったら飛行機が飛ぶようだ、新潟まで行ってそこからフェリーは遠いからそのときに行こうと思っていたら、友達が新潟大学助教になり研究室見学に行くことになり、佐渡島にも行けるよと言われて本当だ港近いじゃんとなり行くことになった。
今の仕事もそうだ。大学の先生に会ったときに、私の授業で調べていたことを仕事にしているんだねと言われて、そう言えばそのときのテーマだったと思い出した。
どれも言ってたら意図せず実現していたこと。たくさん言ってたらどれか叶うというだけかもしれないけど、どれもぽろっとしているので、したいなあ、やりたいなあという気楽さが大事なのかなと考えていた。台湾一周したいとか、ベトナム縦断したいとか、私は他にどんなことを思っただろう。ぽろっとにもいいぽろっとがあるのかな。

スケッター:介護・福祉のボランティア

このブログは前月に一番見られたツイートをテーマに更新をしているが、ときどきある程度まとまったら書くということもしている。強力粉と薄力粉でいろいろ作った話やジブリゆかりの地との出会いなど。そして今回書きたいのはスケッターを14回したという話だ。オンライン工場見学についてもいつか書きたい。

 

スケッターは介護・福祉のボランティアを指す。報酬は交通費なしで1時間1000円、オンラインなら500円というところが多い。時間は3時間程度でほとんどお昼をまたがない。仕事内容ごとに感想を書いていく。

 

  1. 掃除

ベッドの下の掃除(人間はルンバではないので立つとしゃがむの繰り返しは疲れる)、水回りの掃除、ドアノブや手すりの除菌、運動機器の除菌(1分間×3セットでデイサービスの利用者が何回もぐら叩きをできたかを記録した後除菌する)を行った。黙々とできるものは好きだし、こういうスケッターがあるんだと思ったが、掃除をしてもまた汚れると思うと繰り返しはやれない。スケッターがいないときは掃除をしていないのかなと思うこともあった。

 

  1. お茶出し、配膳

お茶の好み(温かい方がいいとか、お水の方はいいとか)を聞いて注いでいく。飲んだ量を記録するところもあった。食事は人により完全食、ペースト食、お薬付きなど違うので、名前と一致させながら運ぶ。一緒に食事をいただくこともあった。完全食の利用者はペースト食ってどうなんだろうと横目で見ながら食べているのだと言っていた。やり慣れてくると早く動けるようになる。一度調理にも加わった。14人分のお味噌汁を作ったが誰にもお味噌の量や味をチェックされなかった。

 

  1. 傾聴

私はこれが苦手で間にこれがあるとこの時間にこれだけの人と均等に話さないとと思っていた。会話を盛り上げられなくてすみませんと思っていた。でも途中で私の祖母もそう簡単には話さないぞ、でも話しかけられるの自体は嫌いじゃないぞ、祖母みたいなものかと思って話すようになった。スケッター内での上達があるとは思っていなかったので驚いた。

 

  1. その他

地域のお寺での夏祭りのお手伝い(景品を選んでもらうところにいた)、施設での夏祭りのお手伝い(浴衣や法被を着てもらい盆踊りをした)、本の感想を書く、お仕事のインタビュー、介護漫画をアニメーションにしたときの声の録音。スケッターの内容を考えるのが上手いですよね。スケッターでは他のスケッターに会うことがあまりないので他のスケッターとお話できると楽しかった。盆踊りを覚えているとか着付けができるとか、ほんと何でもできておいて損なことはないなと思った。自分のペースで片付く掃除が一番好きで、一緒に盛り上がってください系は苦手なのだけど、大人になると苦手なことをすることが減るので、もっと適任の方が地域にいるだろうにと思いながらやらせてもらった。

 

面白いなと思うのはジモティーと同じでやる前から募集の文面ややり取りでそのスケッターが当たりか外れかが分かるということ。ちょっと変だなっていうやつはやっぱ変だし、ちゃんとしているところはちゃんとしている。私を仲間に入れてくれる。ただどこも、コロナ渦でも外の人を入れてみようというところは、いい介護施設ではあると思う。そういう人がいてくれるところはいい。だから手伝わせていただいたときは私にもっと力があればと思う。あとは年を取るということとか一人一人できることが違うこととかも考えた。今の暮らしに不満はなく自分の体がもっと動けばと思うだけとよく聞いた。迷惑をかけていて申し訳ないとかせっかくやってくれるのだがら行事は楽しむしかないとか情けないとか後遺症のない病気で早く逝きたいとか。スケッターでは介護施設の様々な挑戦と自分の変化を見ることができた。

タスクは人に贈与できる貴重なリソース

9月に一番見られたツイートはこれだった。

えらいてんちょうの『ネットゲリラ戦略』を読んだ。しょぼい起業には勝らない本だと思ったら「人に役割を贈与できるようになると人的ネットワークが広がり、さらに多くのタスクを抱えられるようになる」「タスクは人に贈与できる貴重なリソース」とあり、このすごさを受け止めるために本を一旦閉じた。


が、一番面白かった本は桐谷の人生を書いた『桐谷さんの株主優待ライフ』、一番面白かった映画は韓国の光州事件を描いた『タクシー運転手 約束は海を越えて』だったこと、

井上たかひこの『水中考古学』を読んだ。作者は東洋人として初めて水中考古学の学位を取得した人。普通、本は最初の方が面白いが、これは終章、現在も調査が続いている、千葉県勝浦沖に沈んでいるアメリカの蒸気船ハーマン号についてが面白かった。水中考古学について考えたのは初めてだった。


とツイートしたら、リツイートにより、今の日本には作者に続いて水中考古学をしている人がいるということを知ったということも言っておきたい。

さてタスクの贈与について。私はすることを与えてもらえるというのはありがたいと思っていた。半年に一回大量の封筒に宛先シールを貼り、中に会誌を入れ、両面テープを貼って封をするのを手伝っている。WordpressでHPを作り、講演の告知をしたり、論文やプレスリリースが出たら業績に追加したりしている。人探しもしていた。ハッカソンイベントの女性の審査員を探したときは、AがBに連絡してくれた。BはそこでAに政治家になりたいという相談をして、その後、出馬した。AとBが久しぶりに会ったということを聞いただけでよかったなあと思っていたのに、その後の応援をも楽しむことができた。私にも知り合いが増えた。そういう風にこれは美味しいと思ってやっていた。人は仕事を与えられるの待ちなところあるなと気が付いてからは振ることも考えていた。ただ「手持無沙汰にしている人にその人だけの役割や仕事を贈与するために、たくさんのタスクをプールしておくようにしています」というタスクのプールは考えたことがなく、なんて考えられているんだ、私は甘かったと思った。会社に医療系の翻訳できる人知りませんかとか副業頼んでいいですかとか言ってくる人がいる。彼は前社での知り合いもどんどん引き入れる。あれはまさに「人に役割を贈与できるようになると人的ネットワークが広がり、さらに多くのタスクを抱えられるようになる」が起きている。私は「タスクは人に贈与できる貴重なリソース」にびっくりして、あれはそういうことだったそういうことだったそういうことだったと思って、一旦本を閉じて落ち着こうとしたのだった。
びっくりしたなってことだけでいつもの文量を書いてしまった。それでどうしようかも今考えていて旗だなと思っているのだけどそれはまた別のところで。今回は「タスクは人に贈与できる貴重なリソース」だって話でした。

生きてるって何だ

8月に一番見られたツイートはこれだった。

 

『HEART GEAR』の1-4巻を読んだ。人間の少女ルゥとギアと呼ばれるロボットたちの話。読んでいるとときどき痛くて生きていると思った。

 

今のところ人間はルゥ一人しか出てきていない世界で、コアユニットだけが残っている、育ててくれたゼットを復活させるため、ルゥは生体反応を隠してクロムとロックと旅をしている。そこでよく生きてるって何という話になる。

250年以上生きている元人間のヘンリックは死生観についてギアと語り合い「いやあ長生きはするものだ」と言っていた。私はそれが印象に残っている。人間(この場合はギアだけど)は予想外のことをする。

 

8月には病気や障害の映画を一つずつ見て、違うなと思っていた。病気や障害はメインではない。『最強のふたり』のようにただ人と人が出会って物語が始まっていくのがいい。ギアも病気や障害も一つの設定でそれが物語を面白くするけれど、基本的には人と人の話であるべきだ。同じく8月に読んだ『この音とまれ!』では、部活って指導者で決まると思っていたけど、それはそうなんだけど、周りの人の動きや相互作用も大事だと思わされた。映画ではそういう出会いは突然起こる。平凡な人にも起こる。平凡な方が、味があったりする。

 

妹が妊娠した。お腹の中の小さいものはまだ味を知らない。痛みも知らない。痛いから私は私が生きているって分かるけど、日に日にいろんな器官ができていく者は、本人が痛みを知らなくても、生きているように見える。こちらの目が丸くなる。ルゥも生体反応がある人間だから髪が伸びていた。夜になったら寝ていた。美味しいと思っていた。生きてるって変化しているってこと、反応があるってことなのかもしれない。

甘い蜜とかその人を覆う膜とか

7月に一番見られたツイートはこれだった。

 

永田カビの『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』を読んだ。世界各国で翻訳されている。印象に残ったのはみんなが生きていられるのは私の知らない甘い蜜を舐めているからというもの。甘い蜜ってなんだろう。

 

作者にとっては「発信して人に届く事、人に認めてもらう事」が甘い蜜だった。私は益田ミリが言っていた、愛されて育つとできるというその人を覆う膜に似ていると思った。

 

自立支援を行う社会福祉法人の所長にお話を聞いたことがある。支援したくならないような人ほど支援しなければならないのだと言っていた。私は手の届く範囲の人と接するより制度を変えることに興味がある。事件が起こるとその人がその事件を起こすに至った環境ついて考える。だけど問題が愛着障害にあるときは難しいなと思う。子どものことを地域で見ればいいの。でもどうやって。

 

私はいろんなことをNational Geographicが解決すると思っている。ナショジオでなくてもいいのだけど、何かをすごいと思っているとき、これを見てみたとか、ここに行ってみたいとか、この人と話してみたいとか思っているとき、これが好きだと思うとき、その世界にいる自分のことも肯定できる気がするからだ。そんなものを一人の人に提供できたらいいよね。

 

 

妹の夫が私の大学生の従姉妹に、深い関係の友達を作れとアドバイスしていた。私は作ろうと思って作るものではないのではと思った。ではなんて言おう。これどうかなと思ったことはやれかな。でも私の言葉では届かない。なら岡本太郎の「迷ったら危険な道を選べ」などの言葉に出会って欲しいから、本を読めかな。でも私が本を読むのも絵を見るのも父の影響だもんな。いろんな失敗をしろはどうだろう。たくさんやれと一緒だけど、これならやってみて失敗しても、よし失敗したと思えていい。でもなあ。そんなことならとにかく知り合い、友達を作れでもいいかもしれない。どっちなのという疑問が残っていい。私はその中から深い関係の友達も残るときは残ると思うし、残らないなら残らないで全然いいだろと思う。本当の思いはいっぱいやって欲しいだからそれでいいんだ。少し話が逸れたけど、育ってきた環境が違うと、前提が違うと思った話でした。

 

 

ちなみに同作者の『現実逃避してたらボロボロになった話』も良い。

 

 

それから7月にはデータって何だと私は言っていたが、データとは何でもないということが分かった。仮説検証の一部でしかないので、データが大きい顔をしていても、困惑するべからず。それをどう読むかが大事なのだ。こちらが意味づけをするまでは、データはただの文字や数字の羅列だ。

データって何だ

6月に一番見られたツイートはこれだった。

 

津川友介の「世界一わかりやすい『医療政策』の教科書」を読んだ。見た目がすごく教科書なんだけど本当に分かりやすくて内容も最高。ハーバード、UCLAの博士課程で学ぶのに匹敵する内容を詰め込んでくれている。見た目から古いのかと思ったら2020年のだし、いい。

 

津川さんの本は4冊読んだが、その中で一番これがよかった。この本だけレベルを上げてくれている。

 

最近データって何だろうと思う。医療は統計の世界で、こういう場合はこうだったよ、こういう症例があったよ、こことここに相関があったよという。ゲルや細胞を相手にしていた身としてはもっと条件を揃えたくなるし、n数を増やしたくなるし、なんでかという理由が欲しくなる。ただn数が少なくても何か言えないかと頑張ったstudentのT検定の話は好きだ。歴史は面白い。現在の日本はデータサイエンティスト不足らしく、データサイエンティストを増やそうとしている。かっこいい感じがするがデータサイエンティストが私はなんぼのもんじゃいと思っている。また本人たちはそれにどれくらいの自信があるのだろうかとも思っている。手段に過ぎないから。あと楽しいのかなとも思う。自分で実験してデータを取ってそれを考察するんじゃなくて、データだけ見ているのは楽しいのか、なんでって思ったら次の実験をすぐしたくないかと思う。気が長いわけ?そんな中読んだのが津川さんの本だった。「『原因と結果』の経済学」はデータの見方の話。なぜこんな簡単なことをと思った。「世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事」、「HEALTH RULES」はデータから言えることはこんなことだをまとめた話。続けざまに読むと、みんな全然データ見れてないよって言いたいのだなあと思う。またデータをまとめることには需要があるのだと知った。「世界一わかりやすい『医療政策』の教科書」は医療の費用対効果を知りたくて読んだ。それは分からなかったが、教科書のレベルでこれがエビデンスというものだと言っていた。なんぼのもんじゃいとは思うけど、データをまとめると数字になった瞬間人が見てくれる、データを集めるとそれを基に意見をくれるから、私はしばらくデータを扱って人に投げ込んでみる。その過程で調べることは面白いと思ってる。データってつまりこうねが分かったり、私は中でもこの部分が得意だわということが分かったりしたらそこで切り替わるだろう。データって何なんだろうね。